支援をするアシストはちょうどよくね!
アシストの量や質を適切に。
学習するのは誰?
与えてあげたいと思うのは誰?
与えてあげたいと思うその心は悪いことではないのだけど、
そのヒトにとってそのギフトが必要かどうかわからないし。
そのギフトを貰うということに慣れ、自分で欲しい物を手にしていく大事な行為・活動をしなくなってしまったら御法度。
良い方を変えると、その場で変化が起き、適応できて楽に動けたという一時の出来事を
運動適応と言う。
→その後その変わった状態が日常やふとした時にどうなっているのだろう?という探究が行われなければまた次の日には戻っているということはざらにあり。
では、世間一般に言われる持続した運動学習が行われるためにはどうしたら良いのでしょう?
→〇まず楽しいこと
〇続けたいと思えること モチベーション
〇ほどほどに。休憩も大事です。 休憩している最中に脳の潜在的な学習は進みます。
〇チャレンジ精神 7転び8起きでないけど、失敗も成功も楽しむ。
→失敗を快適に楽しめる程度にすることを忘れずに。
→人によっては、3/4回は成功することが必要になることもある。
→大事なことは、何がそのヒトにとってかんたんか、複雑かを味わうこと。
〇発見したことを他の場面でも応用してみる 使い込んでいくうちに洗練されるもの
〇疑うこと!? 本当に楽かなー?
書き出すとわかった気になってしまいがちですが、この運動学習を行なうのは果たして誰でしょうか?
本人です。 本人です。
そのサポーター役!? スーパービジョン役!? ピアビジョン役!?がセラピスト。
本人の運動学習をする大事な行為そのものを誰も奪ってはいけません。
相手が何をしているのか気づかせてあげて、本人すらセラピストですら知らない多様なつながりや行為に向かって行くことを共有する
共同学習者がわれわれ。
学生指導も同じ。指導はするのだけど、
まずしなきゃならんのは学生さんの今の状態の写し鏡になり、自分を深く知ってもらうということを丁寧にやっていくこと。
そのプロセスの過程で
得意なこと。
不得意なこと。
避けてきたこと。
習慣的にしていること。
そして何をしたいのか?がハッキリして、
そしたら一緒にやってみっかー?
になるもんです。
これやると学生イキイキします!
これやりたいって自分で言いますよ!!
セラピストのよくあるある。
ほらー。そうそう。その感じ。それがこうなってこうなってるから良くなっているんだよ。違う。違う。ここに力入れてるから。抜いて。いや、間違ってるよー。というやり取り。
本人が応答する前に、そうそれ今良い感じだよーて洗脳したり、応答しきれていないのに、無理やりどうだったー?と聞いてしまったり。
うんざりですね。笑い。でもたまにやります笑
治療でよく行なう自動介助運動。
それが過介助や誘導になっていないだろうか?
そもそも応答のない人は存在しません。
気づいてないだけ。
気づきが起きる時に、
時には方向
本人が自律的に動けるように、最低限の介助(アシスト)を併用した運動のこと。
では最低限の介助というのはどういうことだろうか?
こちらのアシストの量のボリュームを多くした所から少なくしていき、本人が自分でやっているという主体感の生じてくる状態にいく、折り合い地点を見つけること。
→危険なのは、最初にたくさんのアシストをしていくこと。
本人が自分で見つけて行くであろう、動きのアイデアをどんどん無くしていく恐ろしい介助になりがち。
アシストにも、色々なものがあるなーと思って。
量もそうだし、差異を感じてもらって、違いが出てくる応答を拾ってみたり、
本人がこれしんどいなーといあ、不安定なところを快適にして、自分でコントロールできる範疇に調整してみたり、
凄い頑張ってるところを肩代わりしてみて、
そんなに頑張らないでも良かったらどんな動きの繋がり見つけられますか?
って聞いてみたりとか、
動きの方向性だけでも感じてみたり。
結局の所アシストとしてhands-onしている先に
何を感じて、動いているのか?を捉えて
何を知ってもらうとより多様性を見つけられるのかを快適に運動学習ができる状況の中で探求していく。
ただそれだけなのかなー。と。
これ意識してやったら、
前回ブログの統合失調症の方が、
自分から鼻水出てきたので、ティッシュ頂けませんか?って顔を赤らめながら、助けを求めてくれました。
多分鼻水でそうでも、くしゃみしたくても表出するのが怖くてできなかったんだと思う。
それが人前でできて、しかも他人を頼るという
多様性を見つけられたのです。
笑顔でありがとう😊と行っているではありませんか!!!
この繰り返しですね。
この経験が本人の日常生活レベル、人と人の関係性レベルの繋がりを発展させていくキッカケにしていきたいものです。
嬉しいね😃