相手の反応を許すこと。
相手の反応、どう動きたいかを許すこと。
少しずつ、動きが洗練されてきたのであれば、
どんどん本人の応答に身を預けるだけ。
必要以上に感じ取ろうとしても、それは情報量の過多になる可能性がある。
色んな所が繋がっていること関係性に目を向けたり、床との繋がりから下に落ちて上に上がる前後の力。皮膚、肉、骨、動きの方向性、ベーシックファンクション、意識を色んな所に拡張するのは良いんだけど。
はい、待ってください。
そこに本人いますか??
本人の主体はありますか?
本人がそのちょっとしたオリエンテーションのきっかけを頼りにどう動きたがってますか?
感じ方を感じてますか?
本人アップアップしてませんか?
もっと先行ってくださいと言ってませんか?
何か他の情報を欲してませんか?
必要以上な情報いらないから、動きたい方向にガイドしてほしい。
などなど、その時の本人の応答に任せる、
能動的な参加を快適に続けられるように
状況を整えておけばよい。
そしたら、本人が勝手に見つけていく。
hands on からhands off
へ支援の量を減らしていくことが、自立、自律的な動きを発見することになっていくんだ。
その動きの発見は結果であり
そこに至るプロセスで感じるものは自ずと本人は感じて無意識に日常生活の基本動作はできるんだ。だっていつも無意識に寝起き、立って歩いてるしね。
ベーシックファンクションに応答しながら日常生活レベルの動きをガイドしていく一連の流れ
。
まだまだ鍛錬が必要なこと再発見ー!!(^ ^)
ウヒョーワクワクしてきたー!!
楽しすぎだわー!!!
さあ明日でなくて今から実践だな。
学生教育にも通じる所が大いにある。
シンプルラーニングと教育についてはまた近々考えて実践報告しよー