支援をするアシストはちょうどよくね!

アシストの量や質を適切に。

 

学習するのは誰?  

与えてあげたいと思うのは誰?

与えてあげたいと思うその心は悪いことではないのだけど、

そのヒトにとってそのギフトが必要かどうかわからないし。

 

 

そのギフトを貰うということに慣れ、自分で欲しい物を手にしていく大事な行為・活動をしなくなってしまったら御法度。

 

 

良い方を変えると、その場で変化が起き、適応できて楽に動けたという一時の出来事を

運動適応と言う。

→その後その変わった状態が日常やふとした時にどうなっているのだろう?という探究が行われなければまた次の日には戻っているということはざらにあり。

 

 

 

では、世間一般に言われる持続した運動学習が行われるためにはどうしたら良いのでしょう?

→〇まず楽しいこと

 〇続けたいと思えること モチベーション

 〇ほどほどに。休憩も大事です。   休憩している最中に脳の潜在的な学習は進みます。

 〇チャレンジ精神  7転び8起きでないけど、失敗も成功も楽しむ。

 →失敗を快適に楽しめる程度にすることを忘れずに。

 →人によっては、3/4回は成功することが必要になることもある。

 →大事なことは、何がそのヒトにとってかんたんか、複雑かを味わうこと。

〇発見したことを他の場面でも応用してみる 使い込んでいくうちに洗練されるもの

 〇疑うこと!?  本当に楽かなー?

 

 

 

 

書き出すとわかった気になってしまいがちですが、この運動学習を行なうのは果たして誰でしょうか?

 

 

本人です。  本人です。

 

そのサポーター役!? スーパービジョン役!? ピアビジョン役!?がセラピスト。

本人の運動学習をする大事な行為そのものを誰も奪ってはいけません。

 

相手が何をしているのか気づかせてあげて、本人すらセラピストですら知らない多様なつながりや行為に向かって行くことを共有する

共同学習者がわれわれ。

 

 

学生指導も同じ。指導はするのだけど、

まずしなきゃならんのは学生さんの今の状態の写し鏡になり、自分を深く知ってもらうということを丁寧にやっていくこと。

 

そのプロセスの過程で

得意なこと。

不得意なこと。  

避けてきたこと。

習慣的にしていること。

 

そして何をしたいのか?がハッキリして、

そしたら一緒にやってみっかー?

になるもんです。

 

これやると学生イキイキします!

これやりたいって自分で言いますよ!!

 

 

 

 

セラピストのよくあるある。

ほらー。そうそう。その感じ。それがこうなってこうなってるから良くなっているんだよ。違う。違う。ここに力入れてるから。抜いて。いや、間違ってるよー。というやり取り。

 

本人が応答する前に、そうそれ今良い感じだよーて洗脳したり、応答しきれていないのに、無理やりどうだったー?と聞いてしまったり。

 

うんざりですね。笑い。でもたまにやります笑

 

 

治療でよく行なう自動介助運動。 

それが過介助や誘導になっていないだろうか?

そもそも応答のない人は存在しません。

気づいてないだけ。

気づきが起きる時に、

時には方向

本人が自律的に動けるように、最低限の介助(アシスト)を併用した運動のこと。

 

では最低限の介助というのはどういうことだろうか?

こちらのアシストの量のボリュームを多くした所から少なくしていき、本人が自分でやっているという主体感の生じてくる状態にいく、折り合い地点を見つけること。

→危険なのは、最初にたくさんのアシストをしていくこと。

 

本人が自分で見つけて行くであろう、動きのアイデアをどんどん無くしていく恐ろしい介助になりがち。

 

アシストにも、色々なものがあるなーと思って。

量もそうだし、差異を感じてもらって、違いが出てくる応答を拾ってみたり、

本人がこれしんどいなーといあ、不安定なところを快適にして、自分でコントロールできる範疇に調整してみたり、

凄い頑張ってるところを肩代わりしてみて、

そんなに頑張らないでも良かったらどんな動きの繋がり見つけられますか?

って聞いてみたりとか、

動きの方向性だけでも感じてみたり。

 

 

結局の所アシストとしてhands-onしている先に

何を感じて、動いているのか?を捉えて

何を知ってもらうとより多様性を見つけられるのかを快適に運動学習ができる状況の中で探求していく。

ただそれだけなのかなー。と。

 

これ意識してやったら、

前回ブログの統合失調症の方が、

自分から鼻水出てきたので、ティッシュ頂けませんか?って顔を赤らめながら、助けを求めてくれました。

多分鼻水でそうでも、くしゃみしたくても表出するのが怖くてできなかったんだと思う。

それが人前でできて、しかも他人を頼るという

多様性を見つけられたのです。

 

笑顔でありがとう😊と行っているではありませんか!!!

この繰り返しですね。

 

この経験が本人の日常生活レベル、人と人の関係性レベルの繋がりを発展させていくキッカケにしていきたいものです。

 

嬉しいね😃

 

シンプルラーニング 実践 精神疾患の方との関わり

シンプルラーニングの実践 気づき

統合失調症の方との関わりで気づいたこと」

 

 

 

日常生活もままならない。妄想や幻覚がひどく、問題を一人で解決していくことが難しく、徘徊。いつも誰かに追われているような感じで、家に戻るのも怖い時がある。

大変な時に、他者の手を借りることもできない。

 

 

 

このような方と数か月以上、関わってきて気づいたその人の傾向は、

 

 

〇自分は現実の世界を受け入れるということができないという繰り返しにより、本当は受け入れるチャンスはいくらでもあるのに、身を閉ざしてしまっている傾向。        

自分から自分は他者と関わることがそもそもできないと決めつけてしまっている

 

〇相反して人から言われたことを守ろうとして必死になってしまう傾向がつらい

 

〇自分の感情や感じたことを表出することができない!?と確信している。

 出すことがしんどいと思っているのか?そもそも自分というものが存在しているのか?すら迷っているのか??

 

ざっと挙げるとこんな感じ。

 

 

 

 

 

そのような方にまず触れるという行為をしようにも、まず負の感情から入られるので変化を受け付けません。

 

だからといって、言語的なコミュニケーションをとろうにも、そんなこと考えたこともないので細かく聞かれても分かりません。

 

分からないことを強要しないで下さいといわんばかり。

 

立って下さい。

歩いて下さい。だと難しいので

寝返ってください。 

足を立ててください。  

肘を曲げてください。  

指を曲げてください。

どんどん動きのタスクを簡単にしていっても、なんだか誰かに無理やり操られているかのように、ぎこちない動きをしている。 

本人は特に気にしていない・・

 

 

 

そんな方にとって関わりと意識したことは・・・

①その人が居心地の良い環境づくり

 

②無意識レベルのコミュニケーション

 

③しんどいと思う反応をしている時には、一緒にしんどさを調整しながら味わってみた

 

 

 

①居心地の良さ 

楽でいられるポジショニング

地球の力である重力と床と自分の身体が折り合いがつくようにセッティング。

 

重要なのは、そこから本人が何だか動いていきやすくなる準備ができるような状況にすること。 

 

→かくいうこの方は、あおむけを好んでいた。よく仰向けを見て触れると・・・ 

 

仰向けだと、重力に抗うと色々な所に余分な力を入れていたり。

 

 床に身体を預けるのを怖がって床から落ちるんじゃないか?という逃避的な応答があった。

 

これではどこにも身を預けるものがなく、自分の身体の中に力を入れてそれを拠り所にしているよう。宇宙空間に放り出されているような状態。

 

何も今の自分の位置を定位し、実感として存在していないかのよう。

 

横向きにしてあげて頭の枕やタオルを工夫しながら、 その方が接触している環境の全て

のものが、快適な床になるように調整。  

 

その状態に適応し、変化を受け入れる応答が見られてきてから、やっと触れるという行為を使用した。

 

→そして大事だったのは無理に目を合わさないこと。

受け入れてもいない人と目を合わす

こと自体、それだけでストレス。

 

②無意識レベルの応答

言葉でのコミュニケーションが極端に苦手。

環境を整備すれば、学びを深めていける前提を発見できたので、ここからは本人が何をしたいのか?を一緒に探求する適応応答の出番。

 

→本人の応答に沿っている時は気持ちよーく動くんだけど。

少しでもこちらの誘導したい欲が表出されると、相手は拒否的な応答を見せる。 

 

拒否的な応答があったとしても、あちゃーやっちまったとなる必要もなく、嫌がっているのね。まっているからどう動きたいか教えてね。

 

 

はは、なんか嫌がってるの?混乱しているだけか?

 

と無意識レベルでの会話を楽しむくらいのイメージで入っていくと本当に会話をしているみたい。  

これが相手を知り・自分を知ってもらい共有する作業なのかな。

 

 

③しんどさを味わう

しんどさを出さないことも簡単にしていくということで大事です。

が、

簡単にした所でご本人の余裕や隙間をつくっていった中で、ちょっとしたしんどさを味合わせます。

すると、

感から思考へと発展し、

ちょっと先生つらいです。と表出してくれるようになる。

 

辛いと言われてうれしがる自分。

頭おかしいかもしれませんが、

この方にとって、つらいということを自己表出してくれること自体その人にとっての大きな変化なのである。

 

 

 

ここまで来たら相手の主体が出てきている証拠なので、ちょっとした比較でより楽な方を見つけていく作業ができます。

 

 

するとですね。いやなことはいやといってくれるようになって、

この動きはしんどいのでやりません。

とばりに拒否をしてくることが多くなりましたが、言語的なコミュニケーションをとることができたり、目を合わせてくれることも出てきました。

 

そして一番うれしいのがリハの介入が終わって別れた後の動きがウキウキ感のある歩き方をしているので、それで良いかと。

 

自分が連休中でリハ時間がいつもの時間と変わった時の話ですが、身体朝から動かさないと暇ですねーと看護師さんに自分から話かけるという大変化。

 

ちょっとした変化を見逃さないでいると、それが積み重なって大きな変化になるのだと

思った出来事。

 

人はそもそも変われるのではなく、そもそも刻々と変わっているもの。それに気づいていけるかどうか・・・。

ある部分がバラバラに分化していく過程には

ある部分がバラバラに存在していると気づけていく過程には。

 

 

ある部分とある部分が明確に違うということに

気づくこと。

 

 

何が違うのか?

意味が

明確にならないで良い。

 

 

何か違うものという明確な感じを掴むこと。

より自分の言葉で表現するともっとクリアになるけど。

 

 

ある部分とある部分とは

違いを知るということということは、

 

股関節と骨盤という パーツパーツレベルの階層かもしれないし

 

小さな変化ですと、

隣の肉と隣の肉  この隣の肉通しの距離はよりスキルが上がれば、細かく繊細に。

質感の違いだったり、温度も違ったし、脈打つ感じも違うし、イキイキ感だったり、色々。

皮膚、肉、骨という

身体の奥深くに入っていく感じも忘れず。

 

 

逆の視点で、皮膚、肉、骨という

深ーく入っていく探求をしている時には、

他の場所へ連動している繋がりを受け取ることも忘れず、

 

そもそもベーシックファンクションの捩れがあるので、3Dに捉える。これ難しいけど。

身体の縁をなぞっていくわけではなくて、

8の字、♾の立体感

から感じてくると身体が膨らみます。

 

ボヨンボヨン。

 

そうやって、ベーシックファンクションがある前提で、関係性のレベルの簡単な相に戻っていくとまた皮膚、肉、骨がわかりやすくなってたりある部位の実感がより出てきます。

 

関係性のレベルのどこに、今自分がフューチャーして見てるのか?

本人はどの関係性の相で学び方を楽しめる状態にあるのか?

検証しつつ、分析していく過程を辿ると

関係性のレベルの今見ている相の上下も必然と見ているんだよな。

 

股関節のことみるなら、両隣の膝と骨盤はまず見ないとね!!と似たような話^ - ^

 

 

本人が、今何を感じ、考え、しているか?というのは実は

繋がりをもっている提案者側も同じように

自分は何を感じ、何を考え、何しようとしているのか?を感じながら並行して

検証していくこと

 

そのものがコミュニケーションであるとする。

 

 

すると適応応答ですね。

お互い影響受けるので、beingですね。

心地よくですね。

 

 

そんなことしてったら勝手にどこか身体の部位は分化していきます。

 

 

結果なんですね。

どの視点で物事考えても、やっぱりプロセスの先に本人も提案者も知らない何かが起きる。

 

戦略として、学びの戦略をうまく使っていけば良い。

 

 

分からないから楽しい。!

 

 

 

 

感情の難しい所。

感情というのは本能的な部分。

生き物には必ず無くてはならんもの。

本能がなければ生きていけませんし、

この世の中に適応していかないと

時代に乗り遅れ、気持ちよく生きていくことはできません。

ヒトは一番適応力があり道具を使いこなすことが出来ます。が、

身体という器も使いこなすには、感情の作用を忘れてはなりません。

 

 

 

どこか奥底で、それが心地よいと思えば受け入れてくれるし招き入れてくれる。

 

不快に思えば、嫌だという応答が起きます。

 

 

なので、セラピストとして、他者と関わる時、その最初からの入りが一番大事なのでしょう。

 

 

 

初期値ですね。

 

 

 

その人にとって、自分という存在がどんな関係性なのか?

その時の本人や自分の状態によっても違います。

同じ瞬間なんてひと時たりともないんです。

数秒前の自分と今の自分はもう違います。

その違いに気づけるだけで楽しくさえいられます。

 

触られるという行為そのものをまず受け止めてくれる前提だろうか?

 

周りの環境はそのひとにとって快適であろうか?

 

 

 

その状況を学びの要素を最大限発揮できる

簡単な状況にした時の

本人の楽な応答から入っていく方がベターです。

 

 

for the better  ばかりでなく

for the worse  だってあります。

 

 

 

ベストとかワーストとか決めつけるのは簡単なようですが、

0か100かというのは、実は両極端で

その行き来には、けっこうしんどさがつきまといます。

 

 

 

ボリューム調整ができることが、調和を図ることになりますし、省エネになるので、心地よさ

居心地の良さ、快の感情を楽に発見できるかもしれない。

 

 

 

発見しようとしなくたって、感情がはたらかないことなんてないです。

 

 

 

感情をありのままに理解したら良いんです。

でもその感情は

感や思考の組み合わせのフィルターを通してまた感情も繋がっているのです。

 

 

 

なので、自分が意識として思っている感情が実は、思い込みの思考だったり、

 

感を素直に感じ取れてなかったり、感が足りていなかったり偏りがあったりすると

また感情にも影響を受けます。

 

 

 

逆も然り。

感情に支配されていることまあるやも知れません。その感情から変えられないという思考の思い込みなのだと思うけど。

 

そうすると

今起きている感を見逃しがちです。

 

 

 

 

ベストではなくベターでいいんです。

ワーストでなくてワースでいいんです。

 

間をしると、もっとその間も感じてきます。

そして感情を感情のままに感じることや思考のパターンや偏りを直すのではなく、

そのまま受け取って

己を知るということが必要なんですかなー。

 

 

面白いのがですね。

笑おうとしなくても楽な身体の動きが出てくると表情って自然と笑顔になるんですよ。

身体心理学ってやつですか??

 

 

 

歯を噛みしめる噛みしめるという緊張が抜けて、あくびが出る感じ。

楽ー。なんだーこれー。ほわー。ほっぺが落っこちる感じ。

 

するとね。ほっぺが下に下がると口角は持ち上がるんですよね。

 

 

 

重力に抗おうとしなくたって、重力による影響で起きる色々な協重力作用に気付ければ、

そして床という偉大な力や身体の内なる力があるのだから。身をゆだねればけっこう楽なんですー。

 

 

 

楽な動きして、学び方の学び方を知っているひとの動きを見てると楽しそうですもんね。

 

自分も楽しいですよ。動いていて!!ホントに。この楽しさに気づく一つのきっかけとなったシンプルラーニングの考え方。楽しいですねー。

 

 

 

俺って怒りっぽいんだよね。

私ってネガティブなんだよね。

って自分に言い聞かせているヒト。

 

 

さあ自分の価値観と真逆のことを簡単なことから始めてみたり、

逆に今までだったら絶対に手放せなかったまのを一度手放してみる。

という非習慣という多様性を知ることに

限ります。

 

 

 

でも感情の取り扱い方には、要注意やー!!^ - ^

 

感、思考、そして、感情

あっての応答という結果の動きがあるんだ。

 

結果を、変えようとすな。

 

今の現状理解、

何を今感じ

何を考え

気持ちいいー?気持ちよくないー?

 

先に勝手に動きは変わっていくのですね。

 

 

同じこと繰り返し続けるのってなぜ?

設問1

同じこと続けるって、楽なのでしょうか?

 

 

 

例1続けることが良いことと思ってるタイプ

 

ツライけど、続けなきゃと致し方なく努力し続ける人

そんな人には、

努力することが良いことと思ってる背景。

ツライ先に良いことがあるはずという未来予測。

や過去の経験に基づく積み重ねでその先に楽があるんだという経験談

などあるかも。

 

 

例2    楽だなと一度思ったら、それを続けることを繰り返すタイプ

 

楽だなーといつもの習慣をこのいつもの感じねー!いい感じー!って思考の決めつけが起きて学ぼうとしなくなってしまったり

 

脳には、必ず繋げるという作用があります。

細胞と細胞は繋がらないと生きていけないように、

人と人と繋がっているという安心感が無いと孤独ですし

環境と繋がっているということも安心に繋がります。

 

 

ある個別のものとものを繋ぎ止める作用は

実は脳にとって別な見方をすれば

 

A.B.C  という3つの別なものがあったら

3つのまとまり方ってけっこういろんなパターンの組み合わせがあるので、情報処理するのも大変。

 

A→B→C  と決まっていた方が

一つの情報処理で済むので楽。

 

チャンクする。チャンキングといいます。

ひとまとまりにして物事を捉えることで、脳へのストレスを減らすパターン化作用なんです。

この作用により人が何も考えないでも行為を行えるようになっています。

自律化作用です。

これは生きている間ずっと行われ続けること。

 

でも赤ちゃんは最初まとまりのないけども、たしかにベーシックファンクションはお母さんのお腹の中から行われているのです。

グルングルンと。

捻れるという行為がもう遺伝子レベルに組み込まれているかのように。

 

赤ん坊は生まれてきたら、最初は訳の分からないカオスな動きをします。

あっちいったりこっちいったり。その動きはと本人さえ、親でさえ想像もつきません。

だけど、目の前に身体は動きたいように動いているのです。

目的なんかあるのかないのかわからず、身体が動きたいと脳にしているのかもうそんなのどうでもよいのでしょう。

 

チャンクできるならディチャンクも出来た方がより機能的なんですけどー^ - ^

 

そのためには

新しいことを発見して、何?これ?って、探求していく作業  これを続けていくしかありません。

リアルタイムな感にあたるのか?

 

感じて、繋がり、パターンになり、応答した結果、思考になって、習慣になる。

でも、今の感を感じることを忘れずにいること。

 

そうしないといつのまにかドラえもんの手のように、内部モデルはサイボーグのような内部モデルが出来上がってしまいます。

 

たぶん、強固にならないうちに多様性を知ると

また分化できるのでしょう。

心配せずとも人は、能動的になれば、誰しも小さな変化、比較が出来るのだから、安心してよし^ - ^

 

 

例3言われたことをやらなきゃと良い聞かせてやる優等生パターン。

 

これは自分が当てはまりますね笑

 

だれが、やれといったのでしょう?

義務感を感じているのは誰?

そうすることで、誰かが喜ぶ、

そうしないと怒られる

という妄想に囚われてない?

 

言葉は危ないです。どんな展開にも発展し拡張していくことできますから。

小学低学年くらいの子供が、なにか怖いなーとおもった時にいつもなら何でもないことが気になったり、それを関連づけてお化けみたいに思ったり、イメージ膨らましたら

それが夢になって出てきたりします。

 

そのクリエイティブな発想は、学ぶことも一理ですが、言葉遊びで満足したり一喜一憂することはけっこう疲れます。

反応している自分に気づきテンションコントロールして笑おうぜ。

自分笑

 

例4

飽きないで続けることがカッコいいと思ってるパターン。

続けていることは素晴らしいですよ。

壁をぶち破るくらいのエンジン全開でやってることってはたからみたら、頑張ってるねーと思われるかもしれないけど。

 

そのようなタイプでもいつも試行錯誤して、探求しているのであれば成長していきます。し違ったものも発見できますよね。

 

でも休みたい時だってあるし、脳も身体も適度な休憩や間が、運動学習を進めていくし、

まっていたら本当は、そのことに飽きてる自分に気づくことも出来ます。

飽きずにやり続けてキツイということに気づくことも、出来るかもしれません。

飽きている自分を見過ごさないためには、余裕が必要ですね。

やりたいならやりつつもいいけど快適かどうか

少し簡単な状況に落とし込んだ時に何か小さな変化起きていないか?に注意を向けていくこと必要かなー。

 

 

それから

曲がったら伸びたいし

伸びたらまるまりたいし

ひとのからだの構造からしても、ゴムのような作用あるので、そんな楽な身体の作用を使わないのはもったいないです。

 

 

 

 

例5

同じことし続けたら、使っているところは磨耗して使われない所は、実感がどんどん無くなります。

 

いわゆる使い過ぎによる怪我であったり

使わな過ぎて使い方を忘れてしまうこともあります。

 

危ないのは、痛みや不快に思う正常な警告システムがバカになってくる危険。

痛みや不快を回避するあまり2時的、3時的な代償の積み重なりで

何が何だかわからなくなることもあります。

 

その程度に応じて、簡単な所から、丁寧に読み解いて、お互いに本人の中で起きていることを知っていく作業をより密に行う繊細さがこの場合必要かなー。

 

例をあげたけど、もっと多様性があるし

その対策も人それぞれ。

あまり決めつけるのもよくない。

 

 

付き合っていくという作業を快適に続けていって寄り添うことが僕たちには求められるのでしょうか??共同学習者ってことですかー?

 

小さく比較する。そして、起きている変化を積み重ねる。

関係性に目を向けすぎる傾向、繋がりや遠い所との関係性に最終的に向かっていく結果は良いんですけど、

 

 

その前に起きている小ちゃな変化や違いを丁寧に感じて比較することは、

そこに自分の身体がある、動いているという

実感が出てきてクリアになる。

 

 

別な言い方をすると

組織化していくことは結果であり

小さな変化や違いや比較の積み重ねが

実感をより本人がつかむことに繋がる。

すぐに結果を求めないで

関係性で言うところの簡単で無意識な応答の変化を少しずつ明確に。

 

コミュニケーションしていることを忘れずにね。

受け取るだけでなく、小さな提案もしてみたり、ちょっとの制約や待ってみよーとか

遊びの余裕を持ってみたりねー。

自分の余裕という隙間が本人の学びの余裕にもつながるー!!

 

 

だって、人のシステムはそもそも勝手に繋がるように出来ているのだから、

サポートしている人は

まず落ち着かなきゃ。beingです。

 

今飛行場これから着いたらバタバタしますが、

その時間の隙間で学びのまとめをしながら

テンションコントロールですー笑

 

落ち着けーではなく、

焦ってるわー!走らんくても間に合うでしょー!

忘れ物チェック今のうちにしといて、後は、チェックインだけだー笑

 

 

 

 

 

 

相手の反応を許すこと。

相手の反応、どう動きたいかを許すこと。

 

少しずつ、動きが洗練されてきたのであれば、

どんどん本人の応答に身を預けるだけ。

 

必要以上に感じ取ろうとしても、それは情報量の過多になる可能性がある。

 

色んな所が繋がっていること関係性に目を向けたり、床との繋がりから下に落ちて上に上がる前後の力。皮膚、肉、骨、動きの方向性、ベーシックファンクション、意識を色んな所に拡張するのは良いんだけど。

 

 

 

はい、待ってください。

 

 

そこに本人いますか??

本人の主体はありますか?

本人がそのちょっとしたオリエンテーションのきっかけを頼りにどう動きたがってますか?

感じ方を感じてますか?

本人アップアップしてませんか?

もっと先行ってくださいと言ってませんか?

何か他の情報を欲してませんか?

必要以上な情報いらないから、動きたい方向にガイドしてほしい。

 

などなど、その時の本人の応答に任せる、

能動的な参加を快適に続けられるように

状況を整えておけばよい。

 

そしたら、本人が勝手に見つけていく。

 

 

hands on  からhands  off

へ支援の量を減らしていくことが、自立、自律的な動きを発見することになっていくんだ。

 

その動きの発見は結果であり

そこに至るプロセスで感じるものは自ずと本人は感じて無意識に日常生活の基本動作はできるんだ。だっていつも無意識に寝起き、立って歩いてるしね。

 

ベーシックファンクションに応答しながら日常生活レベルの動きをガイドしていく一連の流れ

 

まだまだ鍛錬が必要なこと再発見ー!!(^ ^)

 

 

ウヒョーワクワクしてきたー!!

楽しすぎだわー!!!

さあ明日でなくて今から実践だな。

 

 

学生教育にも通じる所が大いにある。

シンプルラーニングと教育についてはまた近々考えて実践報告しよー