適応応答の深い理解

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適応応答の理解
適応応答とは周囲の外部環境、ハンドリングも含めて、どのようにコミュニケーションをとっているかを理解することにある。

 


人には内部モデルという名の感が存在していて、そもそも考えなくても、意識しなくても人は動けます。
脳の中に身体図式というものがあるのでそれが一役かっているのであろう。

脳の中のちっちゃいおじさんみたいな人。

ホムンクルスさん。すぐ、手足、体幹、頭、首のボリュームを変化させて、奇妙?な形に変化するのだから。

 

今ここに、手足が実際に動くもの、日常生活の中で使われるものとして

自己主体感を伴うことに、影響を受けている。

 

 


なので、ハンドリングしている人は
一つ気をつけなければいけないことがある。

 


一般的に世間が言うなの分析という言葉でいう問題解決志向に基づきここがこうなっているからこうであると結論づけて、その方向に修正するということが普通。

 

 


でも適応応答の原理からいうとそもそも無意識的な本人自身の反応は外から見える、見えないは別として今そこで応答は起きている。

 

その応答に本人も提案者も気づいていくこと、理解できるような状況に互いにあるか?
が肝。

 

まずは提案者の態度が、大事。相手を受け入れる状況、存在でいること。

これはbeing

 

相手の反応、応答を学びの要素を最大限使いながらまた自分も快適でいる事。

 

そして、相手の多様性のある動きを失敗、成功??限らず快適に受け取ること。

 

その結果触れられている相手も影響を受けて
心地よい状況となり、1人では気づけない応答に無意識レベルできづいていくことができる。

さっきと今と応答はまた変わるかもしれないし、変わらないかもしれません。


実は無意識レベルでの本人の内部モデルのなかでリアルタイムに比較して、こっちが楽だなーと応答していることがあるかもしれない。

 

ずっと、無意識レベルで応答しているはずなのに、触れられている本人にとってどの階層で感じて意識化の思考にあがってきているかわからないけど、
オレってこう動きたいんだー。と何となく楽な動きやつながりを感じてくる。

そうなってくると、多様性のあるパターンを探求し出す人もいれば?
このパターン楽々ー!とそのパターンに固執し出す場合もある。

 

 

なので、途中途中でreferenceとなる動きの指標を行いながら意識化で
今何を感じ、何を考えて、実際に起きていることはどうなってるー?というのを表出してもらい共有をしてみる。

 

すると、

相手と自分の感じたもの、考えたもの、実際に起きた現象を摺り合わすことができる。

 

適応応答のハンドリングをやられている側を経験しても、やっぱりそろそろ自分で動いてみて確かめたいなーと途中からモゾモゾしたくなるもの笑

 

 

そだそだ。
本人なりの言葉で、表出してもらうということも重要!!


本人なりの語彙力で構わないから、抽象的でも良いので今自分が感じてること、考えてることについて言葉にしてもらうというのは

 

本人が、今何が起きているのか?
今何をしてたのか?
これから何をしていきたいか?


が少し明確になるであろうし、

まずは自分で表出するということは
学びの前提である
主体性が引き出されるもの。
学びの要素で言うところの
参加の部分!!

 

これって、もちろん提案者側も相手が主体的に応答できるような状況や存在でい続ける事だけではない。

 

本人が本人ごととして、自分の動きや日常生活をより豊かに楽しく過ごしていきたいなーとか自分のことに興味を抱いて探求したくなる本人の主体的な態度がまた学びを深めていくには不可欠。

 

この態度を相手に強要する危険性があるので要注意!!
これは自分の悪い癖なので笑
追い込んでしまいがち…。

 

 

 

学びは楽で楽しく、多様性があり、楽でない方向もありながら、試行錯誤している応答そのものを許してあげる態度でい続けると

多分本人は勝手に主体的な学びを続けていくことか多いのかなー。

 

 

結局のとこ、本人が今何を感じ、何を考え、何をしているのか?が少しでも適応応答の中で無意識レベルでも意識レベルでも理解が
容易になれば、

次にまた何しようかなー??という自由な発想や多様性のある動きのパターンや全体への組織化、関係性のレベルも横や縦だけでない上下への波及はどんどん起きていくのだろう。

 

 

 


やっぱりまとめていて思いました。
人から言われたことをそのままノートに写し書きするのは、全く意味なくて

自分の体験という具体に基づきながら
言葉をツールとして、関連づけて
自分の言葉で表出することが

深く記憶として、残っていくんだなーと


そのツールとして、ブログは大いにありだなー。