シンプルラーニング 実践 精神疾患の方との関わり

シンプルラーニングの実践 気づき

統合失調症の方との関わりで気づいたこと」

 

 

 

日常生活もままならない。妄想や幻覚がひどく、問題を一人で解決していくことが難しく、徘徊。いつも誰かに追われているような感じで、家に戻るのも怖い時がある。

大変な時に、他者の手を借りることもできない。

 

 

 

このような方と数か月以上、関わってきて気づいたその人の傾向は、

 

 

〇自分は現実の世界を受け入れるということができないという繰り返しにより、本当は受け入れるチャンスはいくらでもあるのに、身を閉ざしてしまっている傾向。        

自分から自分は他者と関わることがそもそもできないと決めつけてしまっている

 

〇相反して人から言われたことを守ろうとして必死になってしまう傾向がつらい

 

〇自分の感情や感じたことを表出することができない!?と確信している。

 出すことがしんどいと思っているのか?そもそも自分というものが存在しているのか?すら迷っているのか??

 

ざっと挙げるとこんな感じ。

 

 

 

 

 

そのような方にまず触れるという行為をしようにも、まず負の感情から入られるので変化を受け付けません。

 

だからといって、言語的なコミュニケーションをとろうにも、そんなこと考えたこともないので細かく聞かれても分かりません。

 

分からないことを強要しないで下さいといわんばかり。

 

立って下さい。

歩いて下さい。だと難しいので

寝返ってください。 

足を立ててください。  

肘を曲げてください。  

指を曲げてください。

どんどん動きのタスクを簡単にしていっても、なんだか誰かに無理やり操られているかのように、ぎこちない動きをしている。 

本人は特に気にしていない・・

 

 

 

そんな方にとって関わりと意識したことは・・・

①その人が居心地の良い環境づくり

 

②無意識レベルのコミュニケーション

 

③しんどいと思う反応をしている時には、一緒にしんどさを調整しながら味わってみた

 

 

 

①居心地の良さ 

楽でいられるポジショニング

地球の力である重力と床と自分の身体が折り合いがつくようにセッティング。

 

重要なのは、そこから本人が何だか動いていきやすくなる準備ができるような状況にすること。 

 

→かくいうこの方は、あおむけを好んでいた。よく仰向けを見て触れると・・・ 

 

仰向けだと、重力に抗うと色々な所に余分な力を入れていたり。

 

 床に身体を預けるのを怖がって床から落ちるんじゃないか?という逃避的な応答があった。

 

これではどこにも身を預けるものがなく、自分の身体の中に力を入れてそれを拠り所にしているよう。宇宙空間に放り出されているような状態。

 

何も今の自分の位置を定位し、実感として存在していないかのよう。

 

横向きにしてあげて頭の枕やタオルを工夫しながら、 その方が接触している環境の全て

のものが、快適な床になるように調整。  

 

その状態に適応し、変化を受け入れる応答が見られてきてから、やっと触れるという行為を使用した。

 

→そして大事だったのは無理に目を合わさないこと。

受け入れてもいない人と目を合わす

こと自体、それだけでストレス。

 

②無意識レベルの応答

言葉でのコミュニケーションが極端に苦手。

環境を整備すれば、学びを深めていける前提を発見できたので、ここからは本人が何をしたいのか?を一緒に探求する適応応答の出番。

 

→本人の応答に沿っている時は気持ちよーく動くんだけど。

少しでもこちらの誘導したい欲が表出されると、相手は拒否的な応答を見せる。 

 

拒否的な応答があったとしても、あちゃーやっちまったとなる必要もなく、嫌がっているのね。まっているからどう動きたいか教えてね。

 

 

はは、なんか嫌がってるの?混乱しているだけか?

 

と無意識レベルでの会話を楽しむくらいのイメージで入っていくと本当に会話をしているみたい。  

これが相手を知り・自分を知ってもらい共有する作業なのかな。

 

 

③しんどさを味わう

しんどさを出さないことも簡単にしていくということで大事です。

が、

簡単にした所でご本人の余裕や隙間をつくっていった中で、ちょっとしたしんどさを味合わせます。

すると、

感から思考へと発展し、

ちょっと先生つらいです。と表出してくれるようになる。

 

辛いと言われてうれしがる自分。

頭おかしいかもしれませんが、

この方にとって、つらいということを自己表出してくれること自体その人にとっての大きな変化なのである。

 

 

 

ここまで来たら相手の主体が出てきている証拠なので、ちょっとした比較でより楽な方を見つけていく作業ができます。

 

 

するとですね。いやなことはいやといってくれるようになって、

この動きはしんどいのでやりません。

とばりに拒否をしてくることが多くなりましたが、言語的なコミュニケーションをとることができたり、目を合わせてくれることも出てきました。

 

そして一番うれしいのがリハの介入が終わって別れた後の動きがウキウキ感のある歩き方をしているので、それで良いかと。

 

自分が連休中でリハ時間がいつもの時間と変わった時の話ですが、身体朝から動かさないと暇ですねーと看護師さんに自分から話かけるという大変化。

 

ちょっとした変化を見逃さないでいると、それが積み重なって大きな変化になるのだと

思った出来事。

 

人はそもそも変われるのではなく、そもそも刻々と変わっているもの。それに気づいていけるかどうか・・・。