やめてみて分かったこと

やめてみて分かったことがあります。

 

習慣としてかかさず行っている掃除をすること。

キレイに整頓されていると、スムーズに動けるし

気持ちが良い(^^♪

 

 

と思って続けていましたが、

なんとなしに掃除をすることをやめてみました。

 

 

自分に対しての制約として、

家の気になったところの掃除をやめてみることに・・・

 

 

家の気になっていていつも掃除をしている所はどんどんきたなくなっていきます。

リビング・キッチン・廊下・トイレ・寝室等々・・・

 

家族に、ちゃんと掃除いつもみたいにしてよ!!と注意されるものの、継続。

 

 

2~3日

すると自分の部屋以外の所は汚くなっているではありませんか!!!

 

 

どういうこと???

 

 

つまりは、自分の部屋はろくに掃除をしてねえじゃん笑笑笑

 

 

どんだけーー笑

 

 

と非習慣的なことをしてみると、いつも良かれと思って継続している習慣的な活動の中で

気づいていないことに

気づきのフォーカスを当てることができる。

 

 

やっぱし、ヒトによく見せようとしている傾向は、こうやって

日常生活の文脈の色んな所に実は潜んでいるのだなと・・・

 

 

自分の体験からまじまじと感じている今日この頃。

 

 

根本が変わっていないのだな・・・

 

 

(・_・D フムフム

 

 

 

さて、どうするか???

 

 

 

よし、

掃除をする場所の優先順位を変えようじゃないか!!!

まずは、自分のテリトリーから片していこうじゃないか!!!

それで、他の共同スペースが汚れたからといって気にしない。

 

 

自分の所からキレイにして、それで余裕が出てきたら今度は

周りを今までみたいにキレイにする。

 

 

もし、周りの汚い所が先に目がついたら、

ちょっと掃除をすぐにやりだすことを抑えて・・・

 

 

自分の部屋を見渡してみよう。

 

 

いきなり、全てを変えていくのではなく、小さな所から根本を変えていく。

 

良い気づきは、動いてみないと分からない。

ほんと、そうですわ(^^♪

 

 

 

効率的になる? vs 楽になる?

f:id:NOBUlog:20190110162242j:image

 

効率的?    楽になる?

 

結果的には良い方向に向かっていくことには違いないんだけど。

 

そこにたどり着くまでの過程がチョイ異なるのかなー?

 

 

今まではどちらかというと楽か?効率的か?

どちらを好んで使っていたかというと、

 

多分効率的の方を選んで使っていたかも。

 

なんかその方が、カッコいいし。

問題を解決しようと取り組んでる自分に

満足してるわい🤣

 

そんな自分をそのまま受け入れると、楽というか。

いろんな自分がいることを受け入れられるようにしていきたい。

 

 

そうそう今年はいかに

楽に生きていくか??  

がテーマ!!

 

ヒトはラクに生きるというのは、

サボってるという認識をすることが

多いのかもしれないけど。

 

楽もしくは適当な

質や量に合わせていくのには、

何度も試しながら丁度良いを見つけていく作業をしていくもの。

 

失敗しても、自分が望んでいない結果になったとしても、

無駄な努力が生まれてしまったとしても

 

笑い飛ばしながら、また色々試してみることを

淡々と続けていこう!!

 

 

 

 

 

意図と行動の一致、不一致。 日常生活からの振り返り実践。

f:id:NOBUlog:20181227104627j:image

 

先日のGTM復習会で、  ホームエクササイズとして、提案された こと。

 

意図と身体の動きがチグハグになってます。

周りを見渡して下さい。と

アドバイスされた。

 

それを踏まえて気づいたこと。

 

 

 

気にしたこととは、

 

どんな時に、意図と行動が一致して

                           行為を遂行してるのか?

 

はたまたどんな時には、意図と行動がチグハグになっているのか??

 

 

 

私生活の中にも意図と行動の不一致さを生んでいる習慣と向き合うことを実践。

 

 

意図と行動が一致して上手くいっている時は

 

一人で、珈琲をゆっくり淹れている時。

自宅の掃除を🧹丁寧にくまなくしている時。

朝時間の余裕を持って辺りを見渡して車の運転をしている時。

 

自分が意図をもってやりたいといたことを実現しようとしてる時は、意図と身体の動きが密接に連動できているみたいです。

そして、時間に余裕を持って行動してますな。

 

上手くいってない時とは、

 

他者と関わる時。

私生活では家族との関わっている時に、

 

何か指示をされたら、とにかく急いで物事を終わらせようと目が先へ先へ進んでしまう。

と気づいて、無理やりゆっくり動こうと意識しているんだけどそれも過剰になってしまう。

 

楽しんで、物事を進めるという前提を忘れプロセスをぶっ飛ばしてる時がある。

 

 

 

事前に準備をしようと思って早めに動いた時に、自分の基準で準備をしてしまい、いるものといらないものの判別ができていない。

相手目線や先々の予定を踏まえて落ち着いて必要なものを選別することが苦手。

 

注意をされた時に、されたことに意識を問われただただそれを正そうと必死になっている時。

 

家族がいる状況の時に必要以上に、家のことやってます!ってアピールしてること無意識にしてるかも(・・;)  

 

もしかしたら、子供の時からこういう傾向が自分にはあったのかもなー。

 

自営業酪農業で休みのない毎日。共働きで親は常に外。  帰ってきたら、疲れた表情で、子育て。

 

すげーなー。自分たちのこと見ててくれながら、外で休みなく働く親には迷惑かけられないなー。  と子供ながらに思ってたのかなー。

 

でも、甘えたい。触れ合える貴重な時間の時に怒られたくない。

やっぱり褒められたい。   

 

と思ってたので、とにかく親の言うことは守って、言われたことをそのままやる。

 

上二人の男二人兄弟が悪いことして怒られているのをみて、そうかそう言うことやったら、ダメなのか。

 

と反面教師にして、それをしないようにしないように避けてきた。

 

 

これでは、しないようにして、迷惑かけないという結果には繋がるけど、

自ら失敗したり、成功したりしながら

自分で選択肢をもって、主体的に選ぶという学びの戦略を使うということを放棄していたんだろなー。

 

 

過去の振り返りはほどほどに^^;

 

 

まずは自分の傾向に気づくこと。

認識して、俯瞰する。

そこから始まる。

 

自分への戒めとして。

 

for you   ではなくて

 

まず自分がどうしたいか。どうあるべきか。

 

 

 

誰かのために何かをしてあげる

という心は、

上手くいかない時に相手のせいに容易にできる言い訳をつくってしまう。

 

 

 

上手くいくのもいかないのも自分次第。

上手くいってもいかなくても、

そのプロセスを振り返ることを

楽しもう!!

 

そして、人に良く見せようとする、虚栄心。

ありのままの自分でまずは自分が認めてあげてあげよう。

 

 

良い気づきを

ありがとう、復習会のメンバー!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

折り紙のススメ

f:id:NOBUlog:20181216224340j:image

 

続ける事は物事を極めて行く上で、非常に大事。

理学療法士というプロである以上、動きの専門家であるならば、常日頃動きを繊細に感じ、動き続ける事は大事。

 

忘れてはならないのは、日々の生活の中での

場の応用。  

 

 

いろんなシチュエーションで、気づいた、発見した自分の癖や傾向。良いことだけでなく、こういう場面ではまたいつもと同じ失敗ばかりするなと落ち着いて俯瞰すること。

 

 

いつも同じシチュエーションでばかり、気づきの発見をしていては、

いつのまにかわかったつもりになり

良くなったつもりやいつもの自分の癖に引き込まれてしまう。

 

自分はというと寝てゴロゴロ動いてばかりの発見に身を委ね、

日々の生活での場の応用が疎かに。

トホホ。

 

 

と反省しつつ😓

 

 

子供のためにと作った折り紙。

このキャラクター好きだよなー。

よしつくろーと、キッカケに

ちょおー苦手な折り紙にトライ!! 

 

子供の時から図工の通信簿は常に2.3笑

 

 

いつのまにか、折り紙にのめり込む自分笑

 

 

折り紙をするときの悪い自分の癖は、とにかく説明書に書いてある番号の所だけ見て作る。

そして次の工程に進み、次の番号の説明を読む。  ただただその連続。

 

 

これでは、折り紙を作ることが目的となり、何も楽しくありません。

 

 

f:id:NOBUlog:20181216225539j:image

最終形の形 があり。

 

f:id:NOBUlog:20181216225612j:image

そして、今の形があります。

今の形はその前の形からの積み重ねです。

今の形が布石にあって、

           次の形があります。

 

 

と、いったり、きたり

間を取りながら連なっている工程の意味。

ここで折り込みを入れる意味をリーズニングしながらやるとほんと楽しいー(^^)

 

 

とやってるうちに、キャラクターものの

折り紙完成!!  メチャ汚くきんいつではないので、出来たと言えるレベルではないですが、

f:id:NOBUlog:20181216224340j:image

 

 

これがシークエンスということ。

 

今があるのは前があるから。

今があって、次の工程がある。

全ては関連して繋がってる。

 

その工程には基本的な順序がある。

それを守らねば、うまく踏んで行かねば、

最終の形にはならない。

 

 

折り紙ならば、ホントに順序を守られば

意図した形にはなりません。

 

 

でも、順序を守る事に意識を向けるのではなく、

 

 

結果としてその順序が、適切な状態に結びつく工程や意味を大事にする事。

 

 

日常的からの発見メモ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ホームエクササイズの調べ

ホームエクササイズ。

臨床でも良く対象者に提供するものであり、

よく相手から要求されることでもある。

 

 

良くあるのは、

 

教えられた型を写真で真似させたり

 

回数こなす事にとらわれてしまったり

 

一度出来たと達成感を覚えたら

毎回、一回一回の小さな違いに注意を

向けなくなってしまう。

 

自身の動きのレッスンの中では、

講師の先生の声かけ、ガイドによって

 

 

余計なあれやこれやの当てはまるような分析、

言い聞かせ、

決めつけをしないで

 

 

重要となるキーワードを

常に頭にリファレンスとして

残しておき、

 

 

 

意図を伴った動きが楽であるか??

を考えて行為に移せたなーと

思った。

 

 

 

 

自分の中の探求はうまく行きだしているのに、

 

 

対象者にガイドをしていく過程では、

どんどんホームエクササイズ🏠の意図を

複雑にしていき、  

元の意図とは程遠い所に案内してしまっている

ことに気づく。  

さらには一緒に迷路に入り組んで

一緒に悩めば良いけど、

 

それじゃーねー^^って

後はやってみてー!

やりっ放しにして見放してることに

後から気づかされた。

 

 

いかにも簡単に伝えれば良いことを難しく伝えることが、より凄いことなのだと

勘違いしていることに気づけてよかったー笑

 

 

伝えたことで満足するのではなく、

重要となるキーワードを

相手にシンプルに伝え、

 

 

キーワードを聞いた本人が

意図を伴った動きの中で発見してもらい

探求ささて楽しんでもらえれば良い。

 

 

その比較をしながら探求している場面を

見せてもらうことは、ガイドする側にとっては、すごい学びがある。

 

そのために、いかに要点をついた一言を残せるか。

 

 

ふむふむ。!!

何気なく伝えた言葉は

相手にとっては、良くも悪くも

多大な影響を与えるということか。

 

さあ、明日も楽しもう!!

 

 

 

 

Learn to Learn を探求させる言葉の用い方

f:id:NOBUlog:20180927094410j:image

コーヒーの師匠のA氏からのレッスンを

振り返って気づいたこと。

 

最初のコーヒーのレッスン。

フィルターの中の粉は水平にしなさい

フィルターの周りを濡らさないこと

粉の量とお湯の温度は、一定にしなさい

 

でした!!

 

 

それ以上のアドバイスはなし。

後は自分で考えて実践してみて笑と一言。

 

 

どうやったら美味しくコーヒー淹れられるかなー??  コーヒーを淹れて行くまでの過程を楽しんで間を楽しみたいと思っていたので、その時の気持ちや動き方で味は微妙に変わるもので、

 

その目的を

マスターに伝えたら、出てきた

3つのキーワードが出てきた!!

 

 

ふと思い出す、レッスンの3つのキーワード。

やり方を言われたわけではないし

そのアドバイスによってどんな効果や目的があるのかも知らされていない!

 

 

ので自分で体験してその意味を探るしかないじゃん(^^)

 

 

そして、実際に、そのキーワードを忠実に守れた時とそうでない時の違い。

 

あるキーワードを守ろうとしたら自ずと連続性を持って、他のキーワードの所もうまくいったりする。  

 

逆に一つに意識を向けすぎたら他の所がおろそかになったり、

 

全部のキーワードに満遍なく意識を向けることにばかりとらわれると細かい一つ一つの違いに気づけなくなる。

 

 

自分は全体のことばかりに意識を向け、

実際に起きている小さな色々な変化を見逃してしまうことが多いのだ。

それを、凝り固まった頭で、ここがこうなら

こっちは、こういう風になるだろう!

って、決めつけてしまい、

無理シャリ言葉で意味付けしてしまうことが多いな💧

 

もっと素直に感覚的に起きた変化を

視覚的なイメージやこんな感じーだなー

くらいで受け止めれば良いのにー。

 

 

と俯瞰することができた過去の経験!!を振り返ると

 

 

やり方や結果だけを教えてもらったり

明確にその目的を教えてもらったら

 

 

こうすれば良いのね!!と

自ら探求するという行為をせず

 

同じことをし続けてできた気になってしまう所でした笑

 

 

度々喫茶店におとづれては、なんとも良いタイミングで、シンプルかつ適切にアドバイスをしてガイドをしてくれます!!

 

そして美味しいコーヒーと豆も各種取り揃えております!!

 

 

阿部珈琲館  川下

で検索を!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あるヒトの動きは、そのヒトが取り巻くすべての環境によってガイドされている( ゚Д゚)

f:id:NOBUlog:20180409213550j:plain



 

さあ、あるヒトが

自分のしたいこと いわゆるニーズを少しでも獲得するために

手段として良い動きを用いてもらおう。

さあ、良い動きを導くためにどうガイドしていこうか???

と良く考えます。

 

 

ガイドは手段であることは百も承知。

でも、この前のguide to movement 復習会でも話題になった通り、

ガイドにも色々な手段があるということを発見しました。

 

ハンドリング一つをとっても・・・色々なメッセージを与えたり、受け取ったりすることができます。

 

○様々な方向性を伝える 他動的に

○本人の能動的な動きの中で起きているつながりに気づいてもらう

○習慣的な動きといつもとは違った動きの比較をさせる

○ご本人の脳が選び出している「したい!」と無意識に言っている動きを拾い出す自動 

 介助運動 適応応答

○心地よい床を作り出すこと 安心感  重力を知覚させる

○自分の身体とそれ以外の物体との境界線を知覚させる

○固有受容性入力の認識を高め、ある部位への認識や動きや感覚の変化を創造したり

 変化したという事実に気づいてもらうこともできる

ファシリテーションや、動きの制約

○特定の場所への感覚が入りだすタイミングや量を調整することができる。

 

もっともっと色々な意味合いがハンドリングの中で意味を持たすことは無限にできるでしょう。

でも大事なことは、こちらが提供・提案したものに対して本人がどう受け取り選択をするのか???である。

 

 

これは言葉でガイドすることももちろんできますね。

 

 

能動的に動くことができる方・動きの質の変化を比較をする余裕のある方であれば

自らが能動的に動きながら気づきを得ていくことは可能です。

 

 

たぶん、言葉によるファシリテーションのみで、能動的に動き・変化に気づき

ベターな一手を自分自身で選択して変化したことを振り返ることができたのであれば

それが一番理想。

 

そのレベルであれば、その一回の関わりでたとえ最良の変化が出なかったとしてもなにせにゃならんな。という優先度の高い事柄に注意を向けていくことが

日常生活のどこかの場面で認識できれば、その文脈の中でそのヒトは勝手に比較して

良い一手や悪い一手を選択して変化を楽しんでいくであろう。

 

 

自分が関わっている方は脳卒中の方が9割8分であり、中々言葉の関わりが

難しいヒトが多く、その方の中枢神経系が何を欲しているのか

ハンドリングの中で感じ互いにその情報を共有しなければいけない時が多いなーと思っていました。

 

 

大事なことは、

○相手が欲していることは何か?に気づくこと =意図。

 

○本人が欲していることが本当にその人の身体や心が欲していることなのかを

 俯瞰すること  =無意識的に欲していること。本人も気づいていない欲求。

 

○その意図や無意識の応答が本人の行っている動きと結びついているか??

 

を考え、

ガイドという手段を用いて・・・

気づきを与える。

 

 

よくあるのは、こちらとしてこういう意図をもって、あるアドバイスをしたけど

受け取り側は違った解釈で受け取っていたり、

頭では分かっているつもり”””だけど身体は理解していなかった。

などなど良くある臨床あるある。

 

そりゃ受け取り側がどう受け取るか??が大事なことですよね。

当たり前のこと(^^♪

 

 

だけど、ずいぶん浅はかだなーと最近思ったのです。

 

 

 

 

結論からいうとヒトはガイドされていない動きなどアリエナイ~

と思ったのである。

 

誰か他人が意図して色々なシチュエーションという状況をガイド・提案したり、ガイドしてほしいという本人の希望も大前提にありますが・・・

 

ガイドの必要性の有無問わさず、ある機能的文脈において

ヒトは環境全ての情報においてガイドをされている。

アフォーダンスされているということですね。

 

その時の自分の心身状態・何をしたいのか?によって、動きはもちろん変わります。

 

その情報量の操作・優先度の変化(スポットライトの調整)・比較検討

・固有受容性に色々なことが気づけるような状況作りは

セラピストとしては非常に重要になるかと。

 

 

 

ある対象者がガイドを必要としている時に、ガイドをするヒトがいなければ

できないんじゃないの??と思いがち。 思い込みすぎ!!

 

 

ある程度動けるヒトなら、自分なりの動きを用いて動くことができます。

問題なのは、いつも習慣的な考えや思考のもと

同じ動きや行動を繰り返してしまうこと自体が問題。

 

ここからは、環境という状況が作り出すものを受け取り側によって捉え方が変わるよーという具体例を一杯乗せているだけなので、お好きですごく暇な方はどうぞ!!笑

 

 

たとえば、こんなパイプがあったならそこを通り過ぎて、気になるものに向かって移動しようとすると  うちの子供は下をくぐるという手段を用います。

f:id:NOBUlog:20180818220543j:plain

大人だったら、このパイプをまたいで渡るでしょう。

 

f:id:NOBUlog:20180803090745j:plain

こんな画像をテレビで見たら飲み物飲みたくなりますよね。

自分だったら、珈琲豆焙煎しようと思いますけど笑

こんな画像を見なくてもヒトは生理的におしっこ行きたくなったらいくし

うんこしたくなったら行くし、喉乾いたら飲み物飲みたくなる生き物です。

 

でも、状況に応じてうんこもらしたらいけない状況なら

我慢できるという適応能力を持っています。

 

 

謎の気になる物体があった時になんだこれはー??と思う

探究心・楽しさ・ウキウキ。  この思考や気持ちっていうのは

まず大前提で大事ですよね。

f:id:NOBUlog:20180818220946j:plain

 

 

 

 

こんな鼻のえげつない所に綿棒をぶっこまれて、

鼻づまりを治療されるくらいなら・・・  自分が受けた処置ですが笑

 

f:id:NOBUlog:20180802194137j:plain

こんなことされ続けるぐらいなら、

自分の呼吸と向き合い、全身を組織化して鼻づまりを克服しようと

このつらい状況下を受け取りそのような選択をしました。

 

豆を一から焼いて、豆を挽いて、粉にドリップして珈琲を飲むという一連の

流れを行えば・・・

f:id:NOBUlog:20180727111541j:plain

豆が出来ていく過程を楽しむことは、この文脈を経験することでおのずと経験するのです。

 

 

 

 

 

 

こんな景色を見たら、いつも早歩きで回りを見渡す余裕もなく、飛ぶようにして動き続けているヒトも

f:id:NOBUlog:20180625184208j:plain

ゆっくり周りを見渡して、俯瞰したくなるのかなーと思います。

瀬戸内海の夕日サイコーだったなー。

 

 

違った職業の方の話やモノづくりをしている方と話したりその物に触れると

理学療法士として職人のような仕事をしている身にとっては、どう応用できるだろうか??という自分には持っていない視点や価値観に触れる気づきが増える機会があったりする。

f:id:NOBUlog:20180528210859j:plain

 

 

 

日本という島を最初に作ったとされる古事記の伝記を知れば、

今の日本がどう形作られてきたのか??という背景が気になります。

f:id:NOBUlog:20180625184241j:plain

 

ヒトであれば、今目の前の起きている動きというのは、そのヒトが人生をかけて

作り出した動きですから。

どんな心持ちで、どのような経験を経て今の状況を作り出しているのか。

 

危険なのは、過去のことばかり追っていると今起きている現実からかけ離れてしまうことが多いので。リアルタイムに起きていることを基準にすることは大事。注意!!

 

 

この淡路島の景色を見た時に

f:id:NOBUlog:20180625184204j:plain

ヒトによっては、

なんだ この田舎道。  さびれてるなーと思うヒトや・・・

田んぼに植えてあるコメ気になるなー。

この道はどこに続いていくのだろー。歩いてみたいーと思うヒト

のどかで心癒されるなー。

自分の住んでいる町とこのまちの景色とを比較する人

懐かしい匂いや音がする感じがするーというヒト。

 

過去に経験したことがある景色やイメージが5感を通して明確にあるなら

自己イメージが豊かにバーチャルな感覚の想起ができるかも。

 

そうでなくて、新奇なイメージを持つ方であれば、

ヒトによって興味をどういだくかはまたヒトそれぞれ。

 

この曲がり角の向こうが気になるヒトもいれば、

その先がどうつながっているのだろうと不安に思う方もいる。

 

この紅葉山がまばらでキレイと思うヒトや

f:id:NOBUlog:20180622054617p:plain

一色の方がいいやーと思うヒトもいる。

 

 

この空間を見て、自分がちっぽけだなーと思うヒト

→この空間に対する自分の小ささを認識を高める方や

f:id:NOBUlog:20180526080601j:plain

自分の目が見ている視点で、この空間広くて開放的だはー(^^♪

 

と感じ方が異なります。

 

 

そのヒトによって、接地しているはずの床が心地よい床なのか

それとも心地よくない床なのか

f:id:NOBUlog:20180708074452j:plain

床と両の足がどう適応しているのかは、状況によって異なります。

 

 

何の変哲もない岩に見えますが、スポットライトの当て方により、

神々しさが何だがでてきます。

f:id:NOBUlog:20180624074837j:plain

どの角度からどれくらい、どのタイミングでスポットライトを当てるか。

そのスポットライトの組み合わせは・・・?

これってガイドをしていくのに非常に重要なことだな。

 

へーそうなんだ。ではなく。
そのような特徴はどうやって構築されてきたのか。
そのヒトを作り出されている背景まで考えることは楽しいと思える。

そう考えていくと、そのヒトの習慣的なある事柄や特徴を生み出している背景や背景を作り出していったプロセスを踏まえてまた、そのヒトと関われるし

そのヒトの価値観の中には存在していない、
新たなる一手という気づきを促すことができる。と思った今日この頃。

 

ナが(-_-;)