あるヒトの動きは、そのヒトが取り巻くすべての環境によってガイドされている( ゚Д゚)
さあ、あるヒトが
自分のしたいこと いわゆるニーズを少しでも獲得するために
手段として良い動きを用いてもらおう。
さあ、良い動きを導くためにどうガイドしていこうか???
と良く考えます。
ガイドは手段であることは百も承知。
でも、この前のguide to movement 復習会でも話題になった通り、
ガイドにも色々な手段があるということを発見しました。
ハンドリング一つをとっても・・・色々なメッセージを与えたり、受け取ったりすることができます。
○様々な方向性を伝える 他動的に
○本人の能動的な動きの中で起きているつながりに気づいてもらう
○習慣的な動きといつもとは違った動きの比較をさせる
○ご本人の脳が選び出している「したい!」と無意識に言っている動きを拾い出す自動
介助運動 適応応答
○心地よい床を作り出すこと 安心感 重力を知覚させる
○自分の身体とそれ以外の物体との境界線を知覚させる
○固有受容性入力の認識を高め、ある部位への認識や動きや感覚の変化を創造したり
変化したという事実に気づいてもらうこともできる
○ファシリテーションや、動きの制約
○特定の場所への感覚が入りだすタイミングや量を調整することができる。
もっともっと色々な意味合いがハンドリングの中で意味を持たすことは無限にできるでしょう。
でも大事なことは、こちらが提供・提案したものに対して本人がどう受け取り選択をするのか???である。
これは言葉でガイドすることももちろんできますね。
能動的に動くことができる方・動きの質の変化を比較をする余裕のある方であれば
自らが能動的に動きながら気づきを得ていくことは可能です。
たぶん、言葉によるファシリテーションのみで、能動的に動き・変化に気づき
ベターな一手を自分自身で選択して変化したことを振り返ることができたのであれば
それが一番理想。
そのレベルであれば、その一回の関わりでたとえ最良の変化が出なかったとしてもなにせにゃならんな。という優先度の高い事柄に注意を向けていくことが
日常生活のどこかの場面で認識できれば、その文脈の中でそのヒトは勝手に比較して
良い一手や悪い一手を選択して変化を楽しんでいくであろう。
自分が関わっている方は脳卒中の方が9割8分であり、中々言葉の関わりが
難しいヒトが多く、その方の中枢神経系が何を欲しているのか
ハンドリングの中で感じ互いにその情報を共有しなければいけない時が多いなーと思っていました。
大事なことは、
○相手が欲していることは何か?に気づくこと =意図。
○本人が欲していることが本当にその人の身体や心が欲していることなのかを
俯瞰すること =無意識的に欲していること。本人も気づいていない欲求。
○その意図や無意識の応答が本人の行っている動きと結びついているか??
を考え、
ガイドという手段を用いて・・・
気づきを与える。
よくあるのは、こちらとしてこういう意図をもって、あるアドバイスをしたけど
受け取り側は違った解釈で受け取っていたり、
頭では分かっているつもり”””だけど身体は理解していなかった。
などなど良くある臨床あるある。
そりゃ受け取り側がどう受け取るか??が大事なことですよね。
当たり前のこと(^^♪
だけど、ずいぶん浅はかだなーと最近思ったのです。
結論からいうとヒトはガイドされていない動きなどアリエナイ~
と思ったのである。
誰か他人が意図して色々なシチュエーションという状況をガイド・提案したり、ガイドしてほしいという本人の希望も大前提にありますが・・・
ガイドの必要性の有無問わさず、ある機能的文脈において
ヒトは環境全ての情報においてガイドをされている。
アフォーダンスされているということですね。
その時の自分の心身状態・何をしたいのか?によって、動きはもちろん変わります。
その情報量の操作・優先度の変化(スポットライトの調整)・比較検討
・固有受容性に色々なことが気づけるような状況作りは
セラピストとしては非常に重要になるかと。
ある対象者がガイドを必要としている時に、ガイドをするヒトがいなければ
できないんじゃないの??と思いがち。 思い込みすぎ!!
ある程度動けるヒトなら、自分なりの動きを用いて動くことができます。
問題なのは、いつも習慣的な考えや思考のもと
同じ動きや行動を繰り返してしまうこと自体が問題。
ここからは、環境という状況が作り出すものを受け取り側によって捉え方が変わるよーという具体例を一杯乗せているだけなので、お好きですごく暇な方はどうぞ!!笑
たとえば、こんなパイプがあったならそこを通り過ぎて、気になるものに向かって移動しようとすると うちの子供は下をくぐるという手段を用います。
大人だったら、このパイプをまたいで渡るでしょう。
こんな画像をテレビで見たら飲み物飲みたくなりますよね。
自分だったら、珈琲豆焙煎しようと思いますけど笑
こんな画像を見なくてもヒトは生理的におしっこ行きたくなったらいくし
うんこしたくなったら行くし、喉乾いたら飲み物飲みたくなる生き物です。
でも、状況に応じてうんこもらしたらいけない状況なら
我慢できるという適応能力を持っています。
謎の気になる物体があった時になんだこれはー??と思う
探究心・楽しさ・ウキウキ。 この思考や気持ちっていうのは
まず大前提で大事ですよね。
こんな鼻のえげつない所に綿棒をぶっこまれて、
鼻づまりを治療されるくらいなら・・・ 自分が受けた処置ですが笑
こんなことされ続けるぐらいなら、
自分の呼吸と向き合い、全身を組織化して鼻づまりを克服しようと
このつらい状況下を受け取りそのような選択をしました。
豆を一から焼いて、豆を挽いて、粉にドリップして珈琲を飲むという一連の
流れを行えば・・・
豆が出来ていく過程を楽しむことは、この文脈を経験することでおのずと経験するのです。
こんな景色を見たら、いつも早歩きで回りを見渡す余裕もなく、飛ぶようにして動き続けているヒトも
ゆっくり周りを見渡して、俯瞰したくなるのかなーと思います。
瀬戸内海の夕日サイコーだったなー。
違った職業の方の話やモノづくりをしている方と話したりその物に触れると
理学療法士として職人のような仕事をしている身にとっては、どう応用できるだろうか??という自分には持っていない視点や価値観に触れる気づきが増える機会があったりする。
日本という島を最初に作ったとされる古事記の伝記を知れば、
今の日本がどう形作られてきたのか??という背景が気になります。
ヒトであれば、今目の前の起きている動きというのは、そのヒトが人生をかけて
作り出した動きですから。
どんな心持ちで、どのような経験を経て今の状況を作り出しているのか。
危険なのは、過去のことばかり追っていると今起きている現実からかけ離れてしまうことが多いので。リアルタイムに起きていることを基準にすることは大事。注意!!
この淡路島の景色を見た時に
ヒトによっては、
なんだ この田舎道。 さびれてるなーと思うヒトや・・・
田んぼに植えてあるコメ気になるなー。
この道はどこに続いていくのだろー。歩いてみたいーと思うヒト
のどかで心癒されるなー。
自分の住んでいる町とこのまちの景色とを比較する人
懐かしい匂いや音がする感じがするーというヒト。
過去に経験したことがある景色やイメージが5感を通して明確にあるなら
自己イメージが豊かにバーチャルな感覚の想起ができるかも。
そうでなくて、新奇なイメージを持つ方であれば、
ヒトによって興味をどういだくかはまたヒトそれぞれ。
この曲がり角の向こうが気になるヒトもいれば、
その先がどうつながっているのだろうと不安に思う方もいる。
この紅葉山がまばらでキレイと思うヒトや
一色の方がいいやーと思うヒトもいる。
この空間を見て、自分がちっぽけだなーと思うヒト
→この空間に対する自分の小ささを認識を高める方や
自分の目が見ている視点で、この空間広くて開放的だはー(^^♪
と感じ方が異なります。
そのヒトによって、接地しているはずの床が心地よい床なのか
それとも心地よくない床なのか
床と両の足がどう適応しているのかは、状況によって異なります。
何の変哲もない岩に見えますが、スポットライトの当て方により、
神々しさが何だがでてきます。
どの角度からどれくらい、どのタイミングでスポットライトを当てるか。
そのスポットライトの組み合わせは・・・?
これってガイドをしていくのに非常に重要なことだな。
へーそうなんだ。ではなく。
そのような特徴はどうやって構築されてきたのか。
そのヒトを作り出されている背景まで考えることは楽しいと思える。
そう考えていくと、そのヒトの習慣的なある事柄や特徴を生み出している背景や背景を作り出していったプロセスを踏まえてまた、そのヒトと関われるし
そのヒトの価値観の中には存在していない、
新たなる一手という気づきを促すことができる。と思った今日この頃。
ナが(-_-;)