失敗から得ることは実はすごい学び
失敗から得ることは、成功してもうこれで満足ですーって
満足感・充足感を得るよりも実は物凄い得るものは大きい。
ヒトはこれで満足だ―と思ってしまった瞬間に、それを脳がこの方法が一番と思い始めると、脳はそれを一番良い方法だと認識し、それ以上学びを深めようとする
システムにならなくなってしまう。
もっとどうしたら、さらに良くなるだろう?楽になるだろう?と自問自答し続けられる人が
いわゆる達人レベルに近づいていくであろう。
でも、達人は常に成功を繰り返し続けてもっと良くするにはどうしたら?と
なっているのではそりゃないでしょ。
失敗と成功の繰り返しをしながら試行錯誤していく結果、その瞬間に生まれた
アイデアを明確に具現化し、また本当にこれで良いのか?と
メタ認知を深めていくことをしているんだろうな。
では失敗はした方が良いのだけど・・・
ヒトは失敗すると、後悔や反省をすることもある。
もちろん凹むことはある。
ヒトだもん、凹むことは当たり前。
ただ凹むという感情が起きる前段階にも感情というものは、シークエンスの中で、起きている。
よーし楽しむぞーという思いで、凹む前に実際にやっていた活動を探究しながらやっていたのか?
意気込んで、鼻息あらあらしく無駄な努力を用いながらやっていたのか?
はたまた、その活動をする前の感情の影響や身体の不具合が影響していたのか?
その活動をしている時の環境がゆっくり学びを深められる状況下ではなかったのか?
はたまた、その活動の後に何をするか?というスケジュールのことに追われてしまって今を楽しめなかったのか?
という文脈のつながりのどこで余計な努力を強いられていたのか?を振り返ったりすることが
失敗がなぜ起きてしまったのか?というプロセスを深めるということであり、
その振り返りをするか?しないか?
が圧倒的に失敗からの学びを大きく決定づけることがわかってきた。
その失敗をいかになぜどのように失敗したのか?と具体的に考えられたかが、
次にまたする時にその失敗から得た学びを活かし、今度はこのような点に注意を向けてみようという調整をする目線をもつことができる。
いつも普段の臨床場面以外の機能的文脈(実生活)の中で、その失敗のプロセス・その時どう軌道修正をかけて、より楽な方法を見つけたか?
と実践を行うことで、
いざ、対象者と関わる時に、相手が何か失敗をした時にどうそれに向き合っていけば良いか?一緒に考え、学びを深めるアイデアを提供することができるのであろう。
自分自身が日々失敗からのプロセスを深め、具体的な対策をとってどう変わったか?までの一連の流れを経験することが、
対象者の学びを深める時に必要であることが再認識できた。
コーヒー屋のマスターから珈琲を入れた時に雑味がもし出たとしても、その
雑味ですら楽しみなさい!! そしてその雑味を出たのがなぜなのか?
ということを振り返りつつ、まずはその珈琲を美味しく最後までいただくこと!!
という熱いメッセージを頂いたことを思い出した。