小豆と小倉 物は一緒やけども? その1
まさか神戸人のハイカラ焙煎人に、
小豆の小話。
こちら地元十勝 小豆の産地、メッカです。
なぜ、 食べる時には
小倉あんとかっていうの?
恥ずかしいと言う前に、興味持つの遅すぎだぜ。おい、佐藤!! と思った一件。
小豆といえば一大原産地
わが十勝!!
自分の小さな頃はよく枕に使ってました。
小豆というのは、いわゆるマメ科の種類のことなんですけど!!
農家の人は、かくいうわたしも
小豆と書いてしょうずと読みます。
けいたいでは
あづき
しょうず
どちらでも小豆と変換できます笑
なぜ、元々の原産地は東アジアのようで、
日本に入ってきた時には
しょうずと呼ばれていたのですが
大和言葉を用いて あづき
と呼ぶようになったのだとか。
詳しいことは、
JA 音更 あづき で検索してください。
はい、十勝アピールです笑
昔、
十勝晴れ☀️の日に、縁側のようなガラス張りのサンルームに、新聞を広げ🗞
天日干しにしてからっから!!
にしてから枕の入れ物に入れていました。
ばあちゃんからは、虫がつくから、
しっかり乾燥させなさい。
もったいないかもしれないけど、粒が揃ってないものは取り除いてねー。
とかいってたなー。懐かしいー。
小豆枕は、シャカシャカして気持ちいですし
、
古くなったり豆の粒がつぶれたやつが出てきたら、都度乾燥させて
それから新しい豆を混ぜて
いつも好きな枕の形 ニュートラルにするんだった。
日により、小豆抜いたり増やしたり
ゴルジロックス効果使って
比較していたな。
はて、
昔はというと小豆は栄養バランスも良く
さらに薬効もあるとされてきたことから
武士が戦場に持ち込んで食べていたそう。
常に緊張を強いられる戦の中で
試しに小豆を枕の中に入れてみたら。
あー気持ちいいーとなったのが
小豆枕の起源。
小豆は熱吸収率が非常に高く、神経の高ぶった
人たちの熱を吸収し
ほんの隙間の間を作り出していたのだと
知った。
京都の小倉山で取れた大納言を使ったあんだから、小倉あんという。
小倉あんが作られるようになったのは西暦820年頃。時代を経て少しずつ普及していき、江戸時代には茶道の菓子として使われるようになる。
江戸周辺では大納言は栽培されていなかったため、小倉あんは貴重なものだったそう。
さあ、そこにはどんな関係性があるのか。
続きは知っているのだけど、
朝はここまで。
ストーリーを全部話さず、
小出しにしながら
次にどういう構成をふんで、
対象者に話すのか。
どうすれば興味持つのか。
まず自分が興味を持つことからですけど。
ブログに小話も書きながら自己レッスンし
自分の構成力鍛えよう。
謎は深まるキーに小倉山。
小倉山 峰のもみぢ葉 心あらば
今ひとたびの みゆき待たなむ