小さく比較する。そして、起きている変化を積み重ねる。

関係性に目を向けすぎる傾向、繋がりや遠い所との関係性に最終的に向かっていく結果は良いんですけど、

 

 

その前に起きている小ちゃな変化や違いを丁寧に感じて比較することは、

そこに自分の身体がある、動いているという

実感が出てきてクリアになる。

 

 

別な言い方をすると

組織化していくことは結果であり

小さな変化や違いや比較の積み重ねが

実感をより本人がつかむことに繋がる。

すぐに結果を求めないで

関係性で言うところの簡単で無意識な応答の変化を少しずつ明確に。

 

コミュニケーションしていることを忘れずにね。

受け取るだけでなく、小さな提案もしてみたり、ちょっとの制約や待ってみよーとか

遊びの余裕を持ってみたりねー。

自分の余裕という隙間が本人の学びの余裕にもつながるー!!

 

 

だって、人のシステムはそもそも勝手に繋がるように出来ているのだから、

サポートしている人は

まず落ち着かなきゃ。beingです。

 

今飛行場これから着いたらバタバタしますが、

その時間の隙間で学びのまとめをしながら

テンションコントロールですー笑

 

落ち着けーではなく、

焦ってるわー!走らんくても間に合うでしょー!

忘れ物チェック今のうちにしといて、後は、チェックインだけだー笑

 

 

 

 

 

 

相手の反応を許すこと。

相手の反応、どう動きたいかを許すこと。

 

少しずつ、動きが洗練されてきたのであれば、

どんどん本人の応答に身を預けるだけ。

 

必要以上に感じ取ろうとしても、それは情報量の過多になる可能性がある。

 

色んな所が繋がっていること関係性に目を向けたり、床との繋がりから下に落ちて上に上がる前後の力。皮膚、肉、骨、動きの方向性、ベーシックファンクション、意識を色んな所に拡張するのは良いんだけど。

 

 

 

はい、待ってください。

 

 

そこに本人いますか??

本人の主体はありますか?

本人がそのちょっとしたオリエンテーションのきっかけを頼りにどう動きたがってますか?

感じ方を感じてますか?

本人アップアップしてませんか?

もっと先行ってくださいと言ってませんか?

何か他の情報を欲してませんか?

必要以上な情報いらないから、動きたい方向にガイドしてほしい。

 

などなど、その時の本人の応答に任せる、

能動的な参加を快適に続けられるように

状況を整えておけばよい。

 

そしたら、本人が勝手に見つけていく。

 

 

hands on  からhands  off

へ支援の量を減らしていくことが、自立、自律的な動きを発見することになっていくんだ。

 

その動きの発見は結果であり

そこに至るプロセスで感じるものは自ずと本人は感じて無意識に日常生活の基本動作はできるんだ。だっていつも無意識に寝起き、立って歩いてるしね。

 

ベーシックファンクションに応答しながら日常生活レベルの動きをガイドしていく一連の流れ

 

まだまだ鍛錬が必要なこと再発見ー!!(^ ^)

 

 

ウヒョーワクワクしてきたー!!

楽しすぎだわー!!!

さあ明日でなくて今から実践だな。

 

 

学生教育にも通じる所が大いにある。

シンプルラーニングと教育についてはまた近々考えて実践報告しよー

 

 

 

 

 

 

 

多様性を認めることで起きる楽しさ

多様性。

 

統一された、一矢乱れぬ  ビタッと決まる

踊りを披露している方を見るのも

壮観で、良いなーとも思うけど、

 

SMAPのように、同じ踊りをしているはずなのに、皆一人一人個性が違い考え方、感じ方が

異なって表現したいことも違うという結果、

みな少し、違いのある踊りと歌を披露している。

 

でも信念は同じで、アイドルとして、世間を楽しませる芸能人としての役割を全うしている。

世間の望んでいるグループとして活動している。

 

でも、表現の場ではそれぞれ、個性を発揮している。素晴らしいなー。

 

 

組織にいながらも、自分のやりたいことを自ら見つけて、表現すること。

 

そりゃ組織にいたら、制約はいろいろあるのだけど、それを逆手にとってそ!をどう受け止め、その問題点を問題点として扱わず、

どう活かしてやろうか?

 

置かれたとこで自分の咲かせたい花を咲かせるのもよし。自分が咲きたいと思っても見なかった花が咲くかもしれません。

 

場を変え、職場を変え、職種を変えるというのも一つの手段ではあります。

 

でも逃げではなく、自分がどうありたいか?のプロセスありきで、次にどうアクションするか?

結局アクションした後の感じ方が大事なんだと思う。

 

 

違いを尊重すると色んな発見が起きます。

子供が絵本を読みたい、読んでと絵本を持ってきます。パパ、はい!!

 

あいよー(^^)

 

時には、

絵本を開くことを楽しんでいる時もあります。その時は、絵本の中身なんか気にしません。

絵本を開いていくときの質感や、動いている様を楽しんでるのかもしれません。

 

時には、

絵本の中身を理解しようとしているのかもしれないですし、

 

時には、

好きなページだけ読みたい時もあります。

 

時には、

絵本を読んでもらいながら、好きなプーさんのテレビを見たいのかもしれません。

 

時には絵本の中に自分が、参加している時もあるかもしれません。

 

 

一つのページだけとってもその時、その絵の

何を捉えているかなんて、外から見ているだけでは中々わかりません。

 

見えないものの、子供本人は

違いを楽しんで探求してるんです。

 

奥さんはそれが大得意でいつまでも絵本を見ていられるといいます!!

 

 

最初は❓と思ってました。

が今は良くわかる気がします。

 

その絵をその瞬間にどう受け取り、想像して楽しむか??

 

 

絵本というのは、その想像を膨らますためのキーワードを随所に含んだ言葉がけが、書いているのです。

 

 

なので絵本を読んであげる時は、できるだけ書いてある文章をそのまま読んだ方が良いというのはそういうこと。

 

 

その言葉と絵をどう受け取り、クリエイティブになるかは子供次第。

 

 

親は学びの環境を整えてあげて、可能なかぎり見守ってあげること。

 

場を提供。

 

そのための、クリエイティブな毎日を送ること。実践者であること。

 

 

色々な世界を見せてあげたい。

そして、その動向を見守り

感じていることを表出する

援助をする。

 

一緒になって、

楽しむ。

悩む。

混乱する。混乱する。混乱する。

相談に乗ってもらい、手助けしてもらう。

試す。試行錯誤。の繰り返し。

 

 

このように、自分の教育をしていきたい、楽しみたい。

 

学生の教育係を任命されている今組織の中で待たされている、任務を全うするときには、

 

以上のことを、踏まえていかないと。

クリニカルクラークシップに基づきながらも。

 

 

 

 

動きを洗練するためには?

動きをより繊細、洗練、

より良い状態になっていくためにはどうすれば

良いのか?

 

皮膚をより滑らかにする?

筋肉や筋膜の粘弾性を確保しながら

肉の動きをみつけていく?

骨関節をモビライゼーションして動きを引き出す?

 

それって局所を良くするだけで意味ないよね??

 

それでは全身を考えよう!!

筋膜や筋肉のつながりはどうなってる?

パーツとパーツの関連性に着眼しなきゃねー!!

もう少し、広げて背骨の動きも含めて

カーディナルラインの繋がりどうなってるかなー??

 

 

 

これだったら局所じゃなくて繋がりを拡張して全身に目を向けられてきたね?

でも、その動きを日常生活の中で基本動作として、そして日常の活動の中どう使っているのだろう??

そして他者との関係性とか社会の中でどう関わりを持って生きていってるんだろうね??

 

やっぱり人は生きていくのには、1人では生きていけなくて、なにかと繋がりを持たないと楽しく生きていけませんもの。

 

 

一見正論を言っているようですが、文章の最初から後半まで見ていくと、

何だかどんどん複雑になってきて

えー、俺どう生きていっていいのかわかんなーい。今までの人生なんて、無駄に過ごしてきたのか??

と自己嫌悪に陥りがちです。

 

はい、そうなりやすいのは自分です。

多分、自分が関わってきた対象者にも少なからずそういう思いをさせてしまったこともあるのだろうと思います。

はい、短く深くはんせいーーーー。

 

はい、反省終了。

 

 

いいのよ、むかしがあって、巡り巡って今起きていることを発見しただけ。

同じことを、昔に発見したら良かったかもしれないけど、その頃に見つけていたとしても今発見したものと同じものが手に入るともなりませんし

手に入るかもしれません。

 

そんなの妄想の域です。言葉遊びで幻想なのです。

多分、今、気づけたという。この今のタイミングが自分にとってどう感じ、どう考え、どう行動に移し、振り返っているのか?を

続けていくことが、

動きを洗練させていくことになるのでしょう。

 

未来を望んでもダメです。それも妄想になります。あまり明確に目標設定をしても、それに対してショートゴール、ミドルゴール、ロングゴールを立てます。

 

難しかったら、途中でゴール設定変えればいいじゃないー??^ - ^

その度に、また位置から考えを再思考。

 

なんか疲れるなー。決まったことやらなければいけない。

自分で決めて主体的に取り組んでいるはずが、いつのまにか、もう1人の自分の命令に従ってやれと言われたことをただ繰り返して取り組んでいることになってしまうかも。

 

 

わー嫌ですよー。それ嫌です。

 

 

自分の信念でもないけど、これは譲れない、

という芯はもつことはこれは、動きの学び方を伝えていく教育者として洗練させていく上では、モチベーションとして持っていないとこれはいけません。

ただ、それが一番に自分が楽しいと思えるこだわりでなければ、

自分がしんどんくなり、続きません。

 

目標設定をもっていいけど、参考程度に。

その指標をもとに、今起きていることに目を向けられるように、失敗も含め

多様性を許すこと。

 

 

自分にとって、

感!!   

感じているものが

何が簡単で

何が難しいのか?の傾向を知ること。

 

思考として

それをどう受け止めて、考えているのか?

ギャップはおおいにあり。

 

実際の行為はどうか?

自分の理解度や状況からして、

いまの環境設定や課題が複雑やないか?

簡単すぎないか?

 

まずは簡単なことから丁寧に検証作業。

 

 

この検証作業は、

いわゆる問題解決思考でいわれる

分析に基づく仮説生成、検証、振り返り

作業ではない^^

 

感じていることと

考えていることと

実際に起きていること。

のギャップに気づくこと。

 

危ないのは、ギャップが無くなることが目的となってしまったら…

 

 

 

わかった気になってまた思考の習慣に囚われます。

内部モデルの更新はそこで止まり、

なんか楽ーと思い同じことを続けていくことになるやもしれません。

 

 

もしかしたら、そう思い続けることの方が

人によっては楽!?なのかもしれません。

大半の人はそうでしょう。

 

 

でも少しずつ、学び方の学び方を知り始めている同志が増えてきています。

少しずつですが、着実に。

 

その同志達と一緒に、すこしでも

この探求することの楽しさを

共有していきたい!!!

強要ではありません笑

 

 

そのためにはどうすれば良い??

自分が楽しく多様性のある毎日を豊かに過ごす実践者であり続けること。

 

 

そして、適応応答すれば、相手は

こちらの存在に影響を受けて、

内部モデルが変わるきっかけが生まれます。

 

そのキッカケを拡張する道具として、

我々がいます。それはハンドリングだけではなくて我々の態度など何でもです。

 

その道具をどうツールとして利用して

具体の動きに落とし込むのかは本人です。

 

話が遠回りになりましたが、本人が動きを洗練させていくためには、

 

まずは

提案者がいちばんの実践者であること。

 

本人の得意なこと、不得意なこと、

感じていること、考えていること、していることを明確になるように写し鏡であり続けること。

 

その状態を踏まえ、場を提供すること。

これははんどの中で多様性を許す適応応答かもしれませんし、環境設定かもしれません。

これを学びの戦略と言えるかもしれません。

そして、その人にとって簡単なことから始めた方が、楽で余裕がありますし、発見が多いかもしれません。習慣から始めた方が嫌がられないでしょうし。

非習慣は少しずつ。

 

 

まずは自分から。楽しく探求を続けていきます^ - ^

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

適応応答の深い理解

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適応応答の理解
適応応答とは周囲の外部環境、ハンドリングも含めて、どのようにコミュニケーションをとっているかを理解することにある。

 


人には内部モデルという名の感が存在していて、そもそも考えなくても、意識しなくても人は動けます。
脳の中に身体図式というものがあるのでそれが一役かっているのであろう。

脳の中のちっちゃいおじさんみたいな人。

ホムンクルスさん。すぐ、手足、体幹、頭、首のボリュームを変化させて、奇妙?な形に変化するのだから。

 

今ここに、手足が実際に動くもの、日常生活の中で使われるものとして

自己主体感を伴うことに、影響を受けている。

 

 


なので、ハンドリングしている人は
一つ気をつけなければいけないことがある。

 


一般的に世間が言うなの分析という言葉でいう問題解決志向に基づきここがこうなっているからこうであると結論づけて、その方向に修正するということが普通。

 

 


でも適応応答の原理からいうとそもそも無意識的な本人自身の反応は外から見える、見えないは別として今そこで応答は起きている。

 

その応答に本人も提案者も気づいていくこと、理解できるような状況に互いにあるか?
が肝。

 

まずは提案者の態度が、大事。相手を受け入れる状況、存在でいること。

これはbeing

 

相手の反応、応答を学びの要素を最大限使いながらまた自分も快適でいる事。

 

そして、相手の多様性のある動きを失敗、成功??限らず快適に受け取ること。

 

その結果触れられている相手も影響を受けて
心地よい状況となり、1人では気づけない応答に無意識レベルできづいていくことができる。

さっきと今と応答はまた変わるかもしれないし、変わらないかもしれません。


実は無意識レベルでの本人の内部モデルのなかでリアルタイムに比較して、こっちが楽だなーと応答していることがあるかもしれない。

 

ずっと、無意識レベルで応答しているはずなのに、触れられている本人にとってどの階層で感じて意識化の思考にあがってきているかわからないけど、
オレってこう動きたいんだー。と何となく楽な動きやつながりを感じてくる。

そうなってくると、多様性のあるパターンを探求し出す人もいれば?
このパターン楽々ー!とそのパターンに固執し出す場合もある。

 

 

なので、途中途中でreferenceとなる動きの指標を行いながら意識化で
今何を感じ、何を考えて、実際に起きていることはどうなってるー?というのを表出してもらい共有をしてみる。

 

すると、

相手と自分の感じたもの、考えたもの、実際に起きた現象を摺り合わすことができる。

 

適応応答のハンドリングをやられている側を経験しても、やっぱりそろそろ自分で動いてみて確かめたいなーと途中からモゾモゾしたくなるもの笑

 

 

そだそだ。
本人なりの言葉で、表出してもらうということも重要!!


本人なりの語彙力で構わないから、抽象的でも良いので今自分が感じてること、考えてることについて言葉にしてもらうというのは

 

本人が、今何が起きているのか?
今何をしてたのか?
これから何をしていきたいか?


が少し明確になるであろうし、

まずは自分で表出するということは
学びの前提である
主体性が引き出されるもの。
学びの要素で言うところの
参加の部分!!

 

これって、もちろん提案者側も相手が主体的に応答できるような状況や存在でい続ける事だけではない。

 

本人が本人ごととして、自分の動きや日常生活をより豊かに楽しく過ごしていきたいなーとか自分のことに興味を抱いて探求したくなる本人の主体的な態度がまた学びを深めていくには不可欠。

 

この態度を相手に強要する危険性があるので要注意!!
これは自分の悪い癖なので笑
追い込んでしまいがち…。

 

 

 

学びは楽で楽しく、多様性があり、楽でない方向もありながら、試行錯誤している応答そのものを許してあげる態度でい続けると

多分本人は勝手に主体的な学びを続けていくことか多いのかなー。

 

 

結局のとこ、本人が今何を感じ、何を考え、何をしているのか?が少しでも適応応答の中で無意識レベルでも意識レベルでも理解が
容易になれば、

次にまた何しようかなー??という自由な発想や多様性のある動きのパターンや全体への組織化、関係性のレベルも横や縦だけでない上下への波及はどんどん起きていくのだろう。

 

 

 


やっぱりまとめていて思いました。
人から言われたことをそのままノートに写し書きするのは、全く意味なくて

自分の体験という具体に基づきながら
言葉をツールとして、関連づけて
自分の言葉で表出することが

深く記憶として、残っていくんだなーと


そのツールとして、ブログは大いにありだなー。

 

 

 

物事はなんでも双方向性から見ると良いなー^^

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外界から身体の外側をみたり

 

身体の外側を身体の内側からみたり

 

外界から身体の内側を想像して、身体の外側の形をみたり

 

身体の内側から身体の内側を感じること。

もちろん大事。

 

視点を変えて、見て、繋げて、違いに気づくことまた違った自分の動きや傾向を発見できる。

 

ひとの動きも参考に非常になる。(^ ^)

ひとの動きで、自分との違いを比較できたり

あー自分も同じ感じなんだよねーていうのを

外からまた見渡せるしね。

そして、またそれを内観して自分でやってみたらやっぱり違うわー。

なんかさっきの自分とも違うし。

同じかもしれないし。

 

それでいい。^ - ^楽しめるわー。

 

イメージするのは大事だけど、決めつけないこと!!!これもまた大事。

リアルな応答をまた受け取ること。

イメージとのギャップもまた楽しむ^ - ^

イメージと実際がちかいときもあるし、

遠いときもある。

それでいい!

 

無理に正解に近づける必要もない。

だってその正解が正解って決めつけてるのは誰?自分の思考や意図が先行しているかもしれない。

 

なんて発見が色々あった動きを探求する

GTM復習会。

今日はsitting circle!

 

 

身体の傾向、ニュートラルな位置の傾向と

目線が捉えている水平線の位置が違う。

 

まず、目線という意図と身体が示している屈曲や伸展の傾向にはまあまあ差があるということを認める。

 

身体の傾向が本当なのか?

目線の位置が本当の自分の身体の傾向なのか?

わからないけど、

 

その混乱すら楽しむ。

身体の傾向について自分の見ている目はどう向き合っているか?

はたまた、

目線の傾向に対して自分の身体がどう向き合っているか?

 

どちらの視点ももつと、本当の自分の傾向というのがわかるイメージ。

 

 

だけど、あっ分かった🤭!!って思っても

明日はまた違うかもしれない。

 

 

過去の自分の傾向に縛られて、あーこの感じね。ダメなやつ。

良いやつ。

と決めつける傾向出てきたらまずし!!

 

 

多分感覚主体ではなく、思考や記憶主体。

これでは脳の🧠習慣に持っていかれる。

 

 

リアルタイムの情報を受け取らないと。

いつも、自分の状態や状況や周りとの関係性というのは同じ時なんてないからね。

 

 

楽しかったです!

ありがとう😊復習会メンバー!!

大吟醸みたいな酸味「雑味」の混ざったコーヒー飲ましてすいません笑

気づかれた人には気づかれたかも笑

 

豪快に淹れすぎました!!

 

次回は自家焙煎珈琲お楽しみにー(^^)

 

だいぎ

 

 

ホームエクササイズ。誰が考える? 俺?それともオラ?

よくあるホームエクササイズ。

良かれと思って、処方しますが、

中々こうを制すことって少ないのでは?

自分も中々上手くいきません。

 

やっても長続きしなくてやめてしまったり、

やり過ぎたり意図と違う結果になってしまったり💦

意図と違う結果になってもそれはそれで違いがあるので、良いことでもあります笑

が、少し考えるキッカケがありました(^^)

 

 

局所の強化やストレッチをしたり

 

回数だけ重視して、やることを目的にしてしまったり

 

ホームエクササイズをした前後の振り返りや、どのようにリハ以外の場面で自主トレをしているか?

 

こういう目的があるのだけど、日常でどんな時にそういう動きの特徴しているのか発見してみてー!と学びを放り投げてしまったり

 

日常で気軽にできない

めんどくさい運動処方してしまったり

 

色々たくさんのホームエクササイズを強要し過ぎてしまったり

 

要点を絞ったホームエクササイズを提案なんだけど的が外れていたり

これは相手の受け取り方を見てその応答をちゃんと知っていれば、切り返しができるので全然良いです!

相手にとって、そのタスクが簡単か複雑か?

を考えれば良い方向に、修正すること可能です。

 

 

ばっと自分がよくやるミスを挙げてみましたが、どなたでも一つは当てはまること

普段の臨床であるんではないでしょうか?

 

 

結局の所色々試行錯誤してみるしか無いのですが、自分へのアドバイス。忘れないようにメモ。

 

その1

相手をちゃんと知ること。間違った笑

知りたいなーと興味を抱く事

決めつけないし結論づけないこと。

相手を勝手に分かった気にならないこと。

フェルデンクライス  のレッスンでいつも言われる一言。

何何かもしれません…というガイド。

アドバイス何だろうけど、主体は本人で本人がどう受け取るか俯瞰するような問いかけを大事にしていること。しかもつき放すわけではなくて、その人の気づいていない良い気づきに結びつくような、問いかけの内容。

 

 

 

その2

方法を伝えるのではなく、

どんな傾向があるのかを伝えるか、

もしくは気づけるようなちょっとしたガイドをする。

→色々やってみて分かったことは、思ったより人は余計なことを欲していない。必要なものを適度にいただければ丁度良いという真実。

多分物足りないくらいが、丁度良い。

 

その三

タスクのレベル設定

その物足りないという程度やガイドの量は、

その人がもっと学びを続けたいと思えるくらいの適度な量にしないと

自分で探求したいなという気持ちにならない。

し、

 

できた気になって、

続けて同じことしていつもと同じ発見することで自己満足感を覚えて、またいつもの習慣に戻るパターンとか

あまりにも非習慣的で、刺激強め激辛メニューを無理やり与えてしまったりする強制的なことをしてしまいがち

 

その4

相手の理解度を踏まえた丁度良いガイド

かつ自分の理解していることが、ほんとうにそうかなー?といつも自問自答して良い混乱をすること。

 

ほんとうに本人がしたいことって中々、本人自身で気づくことって、よほどの変態か笑

学びの前提を持っている人でないと極めて難しい。ということを踏まえて

比較することとかを強要しないこと。

 

その5

最終形は自分のやることが明確に本人がなってきたら、勝手に日常生活の中でホームエクササイズを自らし出すことを忘れるな!!

これは一番大事かなー。

最近ここまで至ったケースが何度かおとづれてフニオチた感じがした。

 

レーニングとしてではなく、日常の中の動きの中に気づかなきゃいけない自分の傾向が埋め込まれているもの。

失敗、成功含めて本人が主体的に行ったり発言したことを尊重すること。

否定をしない。

本当にそうー?って自問自答させることはok!!

余程信頼関係ができてきてたら、核心をズバッという時もあり!

ただ言うからには自分が言っていることを本当に普段から日常の中で意識しているかをまた振り返ることってした方が良い。

言ってるのに説得力ない時は大体普段から自分も意識していないようなことだったりする。

言っちゃいるけど、どこか自分がやれていないことをやれと言っている自分の身体に実は物凄いストレスが生じてしまう。

どこか、悪いなーと思いながら中途半端に伝えるガイドは、相手には到底伝わらないし、

相手にはこちらの本心を無意識に見抜かれます。多分意識に登るか登らないかは別として。

 

本当に、その人のためになる言葉って、多少厳しいものだとしても伝わるもんだと思います。

 

厳しくいうのが、相手を思ってのことなんだからというありきたりのことなんじゃない!

 

相手を深く受け取って理解した上での、心に響く、ちょっとしたガイド。

 

自分はけっこう脂っこくてしつこくて、なおかつ自分の基準で、ものを言うこと多いので、

今日の内容は、ものすごく自分に対しての

 

自戒の言葉!

 

ふむふむ。