最大の力を出すことより、調和のとれた気のコントロールを重視しよう

皆大好きなDRAGON BALL  

 

 

アニメが復活したドラゴンボール超

悟空は今や神の領域にいます笑

 

と思ったら、今はアニメが終わってしまったみたいです。

続きがまた始まるという噂。

 

 

悟空が得意な気のコントロール

スカウターを用いた最大戦闘力を測定する装置では計り知れない強さには秘密があります。

 

 

気の強弱 がづけられる

コンテキストや状況に合わせて。

エコノミカルかつエフィシェントに。

そして、タイミングよく

必要な時には、時に爆発的な💥力を出す。

そのためには力のコントラストが大事。

 

 

 

周りから力をもらう時があるかも知れないけど、そもそも人の身体には気が備わっている。

 

 

それがあることに気づき、使いこなせるようになること。

 

 

気という

身体の見えない力を使っていないことはない。

 

 

無駄に使って、必要な時には枯渇しているかもしれない。

 

使っていて頑張りすぎているという認識すらないかも。

 

気というものがあるのに気づかず、局所の部位だけで頑張っているだけでこれで最大の力が出ていると思っているかもしれない。

 

頑張ってやろうとして、身体を棒にしているかもしれないし

 

やっているつもりで身体はサボっているかもしれない。

 

 

これは臨床にも還元できる考え方。

定量的エクササイズではなく

質を高めるエクササイズが必要であるということ。

 

 

固有受容性自己認識、

場や状況の認識した上での

丁度良い力の調整

リアルタイムに力を調節できること

タイミングを間違えば、力が足りなかったり余分に力を入れてしまう時もある

 

その失敗も気づきである。

 

 

 

悟空もちょーしこいて、最初から全力でいかず、力の調整をしながら強い敵と闘う。

時には、弱い敵にも手を抜きやられる時もある笑

 

 

 

負けた時も買った時も

それでも、もっとつえーやつがいるんだ。

うひゃー楽しいわー

もっと強くなりたい!

もっとつえーやつにあってみたい

という好奇心が満載。

 

学びを楽しく続けていくのには、好奇心が必須。

 

力を出せばいいってもんでもなく

力を抜けばいいってもんでもない。

 

丁度良いを調整するために

今の現状理解

ゴルジロックス

日々試行錯誤の積み重ねでの失敗経験と振り返り、また更新した積み重ねが、

 

いざという時に、ふとしたときの不意打ちにも対処ができる。

 

 

逆にいうと不意打ちに耐えられていないということは、日々の試行錯誤の経験が足りていない。

 

 

もっと修行だー!!

楽しくー(^^)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アルコール依存症 シンプル実践編 柔性と剛性

アルコール依存の方の片麻痺の方の介入を通じての学び。

 

まあ、今までも何ケースか体験していますが、まあまあ難しいです。

アルコール依存歴長すぎて、病気の発症前から

椅子に一度座ったらそのまま半日過ごしてしまう。

 

最初は、同じ姿勢で居続けたら、臀部の圧が同じところにかかりすぎて

痛い、いづいと気づく。

なんとかゴソゴソ動く。  

このレベルなら床ずれにはならない。

 

でもそのうち、筋力も廃用的に低下して動くのも面倒になる。  でも、お尻痛い。

円背にしてる背中が伸長され過ぎて痛い  

 

 

すると人は身体を固めて緊張します。

すると、身体もバカになって、痛いんだかなんだかわからなくなります。

 

 

そうやって、クニャンクニャンかつ

身体中棒人間の身体の状態が出来上がってしまいます。

 

 

 

アルコールを分解する時に発生する酵素が、身体の筋肉の細胞を壊してしまうよう。

 

それからずっと同じ姿勢で居続けてしまうと

皮膚、肉のズレがないわけなので

圧縮されて、肉が圧挫して痛くなる。

 

こうなってきたら、もう皮膚、肉のズレを

起こそうにも

適応応答するまでにも時間がちょおかかります。

 

それでも待つのです。

待っていくと身体の部分部分丁寧に見ていくと、廃用で全身動きが硬くなってきているのに

まだ肉の性質に柔性があるところと

ナンジャコリャと剛性の高い所が存在する。

 

多分、スキルアップコース出ると理解がより深まるのだろうけど、

丁寧に臨床をこなしていけば、これはものに出来そうな手応えを感じる。

 

 

とにかく、皮膚、肉、骨の関係性や

弾む動き  膨らむ動き、捻れる動き

前後の関係を駆使していきました。

 

あ、それから一番重要だったのは

シーティング。

楽に心地よく過ごせる快適車椅子の背もたれは工夫しました。

ちょっと背中のクッションの当て方を変えるだけで、

ほんとに適応応答は変わります。

 

表情も変わるしゴソゴソ動いてくれるようになりました。

 

背もたれのたわみを使って前後の関係も利用できるようになってきた。

 

 

いろーんなことやっててほんとに大発見は

どんなに肉が硬くて伸び縮みしなかったり

肉の細胞が壊れているところがあったとしても

肉の小さな小さな細胞レベルとかわからないけど小さな応答を積み重ねていけばそれが繋がり

パーツとパーツの関係性が気づかれていくこと。、

多分これが本当のテンセグリティ構造。

 

脳の司令を感じて適応応答しているというよりも先に細胞レベルで身体自身が反応しているものを拾っているのか??

 

ようわからんけど、奥が深くて楽しい。

 

また実践の積み重ねだな!!

 

 

 

 

 

 

 

肉の伸び縮みなんかクニャンクニャンで、弾性がないし

 

 

 

意図それは、みるということの七変化

「みる」   という

  「意図」    そのもの

 

でも、

みるということは

目的ではない。

 

興味のあることに好奇心を抱いて、

みたいなー!!  きになるわー。

のワクワクの先に

視覚というなの

「みる」という外部受容器を使うのだ。

 

その「みたい」  という意図により

周りを見渡ていくと、最初とは違ったものが気になることもある。

それはそれで良し👌

 

色んなものに注意が向いている時には、

見渡すことから

見上げるという 

行為に自然と切り替わっていくのです。

 

その時に、身体の移行運動が起きるという実体験が出来ました^ - ^

 

見上げて周りをサーチしていると、心も揺れ動くもんで、気になる対象物もコロコロ変わる。

これも良し。

心も移行するということか??

 

見上げているときは、身体の色んなところを使っている感じがする!!

というより、見上げるためには全身を組織化しないとできないようにそもそもなっているのか??

 

今日の復習会もたくさんの発見があった🤭

自分の傾向としては、みることが

凝視になっていることがあり、周りをくまなくサーチすることは、わりかし少なかったなー。

と気づく。

 

みるという言葉には、

見る、観る、視る、診る、看る、監る、

色んな漢字がある。

それぞれの漢字によって意味合いが異なるのだけど、意図と繋がるのはどの「みる」か??

 

 

 

どれも正解なんです。

そこに意図があり好奇心があるならば…

 

面白いことに、

こころみるという漢字に

試みるとありますが、

 

これも、読み方によって  

「試る」  と表記されることがあります!!

 

 

つまりは、意図もその時々で変わるのが、生き物。 

自分が何をしたいか?楽であり続けるのには

選択肢、比較、ゴルジロックスが必要なんだ笑

 

 

知識で分かっていることが、活きた知識に変わるというのはなんと心地よいこと!!

 

楽しかった(^^)

 

 

 

 

 

混乱や混沌とした状態

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最近、

 

混乱や混沌とした気持ちで、

気持ちが浮ついたり、

               沈んだり

 

浮き沈みがなんと激しいこと。

 

 

そのエネルギーたるものすごい力。

 

この力を、別なものに転換してくれんかな??

と思うほど。

 

でもそういう時こそ

学びは起きてくるもの。

 

 

人間たるもの

時として心も身体も

安定している時もあれば 

不安定な時もある。

 

 

でも不安定な状態というのは、

不安もつきもので、

嫌として捉えられがちなこと多いかな。

 

 

いつも同じことして、良くも悪くも習慣に馴染んだことをやることは、

なんと楽なことか。   脳は楽として捉えますけど。

 

 

身体と心のマコトは、

けっこう損傷や代償を使いこなしてしまうもの。   

そのうち。それを回避して、

使わない機能の使い方を忘れていってしまう。

 

 

それでも、生きていけます。

けっこう楽しく過ごせると思います。

 

 

でもどうせなら、混乱や混沌としたものすら楽しんで、より学びを深めたいもの(^^)

 

 

 

混乱や混沌から実はノーベル賞ものの、発見が探求されていくもの。

 

無秩序で一軒意味がないようで、まとまりのないものから

色々、試し色んな関係性だったり、法則というのは発見されていく。

 

赤ちゃんもそう。

最初はカオスな動きから始まり、

それから秩序だった動きへと変換していく。

 

 

そもそも人が動くには、安定ばかりしていては動くことなんかできやしない。

 

不安定だから、一歩足が出せる。

 

不安定だなーと受け入れることがまず大事(^^)

 

さあ、コーヒー☕️飲んでいこかー(^ ^)

 

GTM復習会

 

 

 

やめてみて分かったこと

やめてみて分かったことがあります。

 

習慣としてかかさず行っている掃除をすること。

キレイに整頓されていると、スムーズに動けるし

気持ちが良い(^^♪

 

 

と思って続けていましたが、

なんとなしに掃除をすることをやめてみました。

 

 

自分に対しての制約として、

家の気になったところの掃除をやめてみることに・・・

 

 

家の気になっていていつも掃除をしている所はどんどんきたなくなっていきます。

リビング・キッチン・廊下・トイレ・寝室等々・・・

 

家族に、ちゃんと掃除いつもみたいにしてよ!!と注意されるものの、継続。

 

 

2~3日

すると自分の部屋以外の所は汚くなっているではありませんか!!!

 

 

どういうこと???

 

 

つまりは、自分の部屋はろくに掃除をしてねえじゃん笑笑笑

 

 

どんだけーー笑

 

 

と非習慣的なことをしてみると、いつも良かれと思って継続している習慣的な活動の中で

気づいていないことに

気づきのフォーカスを当てることができる。

 

 

やっぱし、ヒトによく見せようとしている傾向は、こうやって

日常生活の文脈の色んな所に実は潜んでいるのだなと・・・

 

 

自分の体験からまじまじと感じている今日この頃。

 

 

根本が変わっていないのだな・・・

 

 

(・_・D フムフム

 

 

 

さて、どうするか???

 

 

 

よし、

掃除をする場所の優先順位を変えようじゃないか!!!

まずは、自分のテリトリーから片していこうじゃないか!!!

それで、他の共同スペースが汚れたからといって気にしない。

 

 

自分の所からキレイにして、それで余裕が出てきたら今度は

周りを今までみたいにキレイにする。

 

 

もし、周りの汚い所が先に目がついたら、

ちょっと掃除をすぐにやりだすことを抑えて・・・

 

 

自分の部屋を見渡してみよう。

 

 

いきなり、全てを変えていくのではなく、小さな所から根本を変えていく。

 

良い気づきは、動いてみないと分からない。

ほんと、そうですわ(^^♪

 

 

 

効率的になる? vs 楽になる?

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効率的?    楽になる?

 

結果的には良い方向に向かっていくことには違いないんだけど。

 

そこにたどり着くまでの過程がチョイ異なるのかなー?

 

 

今まではどちらかというと楽か?効率的か?

どちらを好んで使っていたかというと、

 

多分効率的の方を選んで使っていたかも。

 

なんかその方が、カッコいいし。

問題を解決しようと取り組んでる自分に

満足してるわい🤣

 

そんな自分をそのまま受け入れると、楽というか。

いろんな自分がいることを受け入れられるようにしていきたい。

 

 

そうそう今年はいかに

楽に生きていくか??  

がテーマ!!

 

ヒトはラクに生きるというのは、

サボってるという認識をすることが

多いのかもしれないけど。

 

楽もしくは適当な

質や量に合わせていくのには、

何度も試しながら丁度良いを見つけていく作業をしていくもの。

 

失敗しても、自分が望んでいない結果になったとしても、

無駄な努力が生まれてしまったとしても

 

笑い飛ばしながら、また色々試してみることを

淡々と続けていこう!!

 

 

 

 

 

意図と行動の一致、不一致。 日常生活からの振り返り実践。

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先日のGTM復習会で、  ホームエクササイズとして、提案された こと。

 

意図と身体の動きがチグハグになってます。

周りを見渡して下さい。と

アドバイスされた。

 

それを踏まえて気づいたこと。

 

 

 

気にしたこととは、

 

どんな時に、意図と行動が一致して

                           行為を遂行してるのか?

 

はたまたどんな時には、意図と行動がチグハグになっているのか??

 

 

 

私生活の中にも意図と行動の不一致さを生んでいる習慣と向き合うことを実践。

 

 

意図と行動が一致して上手くいっている時は

 

一人で、珈琲をゆっくり淹れている時。

自宅の掃除を🧹丁寧にくまなくしている時。

朝時間の余裕を持って辺りを見渡して車の運転をしている時。

 

自分が意図をもってやりたいといたことを実現しようとしてる時は、意図と身体の動きが密接に連動できているみたいです。

そして、時間に余裕を持って行動してますな。

 

上手くいってない時とは、

 

他者と関わる時。

私生活では家族との関わっている時に、

 

何か指示をされたら、とにかく急いで物事を終わらせようと目が先へ先へ進んでしまう。

と気づいて、無理やりゆっくり動こうと意識しているんだけどそれも過剰になってしまう。

 

楽しんで、物事を進めるという前提を忘れプロセスをぶっ飛ばしてる時がある。

 

 

 

事前に準備をしようと思って早めに動いた時に、自分の基準で準備をしてしまい、いるものといらないものの判別ができていない。

相手目線や先々の予定を踏まえて落ち着いて必要なものを選別することが苦手。

 

注意をされた時に、されたことに意識を問われただただそれを正そうと必死になっている時。

 

家族がいる状況の時に必要以上に、家のことやってます!ってアピールしてること無意識にしてるかも(・・;)  

 

もしかしたら、子供の時からこういう傾向が自分にはあったのかもなー。

 

自営業酪農業で休みのない毎日。共働きで親は常に外。  帰ってきたら、疲れた表情で、子育て。

 

すげーなー。自分たちのこと見ててくれながら、外で休みなく働く親には迷惑かけられないなー。  と子供ながらに思ってたのかなー。

 

でも、甘えたい。触れ合える貴重な時間の時に怒られたくない。

やっぱり褒められたい。   

 

と思ってたので、とにかく親の言うことは守って、言われたことをそのままやる。

 

上二人の男二人兄弟が悪いことして怒られているのをみて、そうかそう言うことやったら、ダメなのか。

 

と反面教師にして、それをしないようにしないように避けてきた。

 

 

これでは、しないようにして、迷惑かけないという結果には繋がるけど、

自ら失敗したり、成功したりしながら

自分で選択肢をもって、主体的に選ぶという学びの戦略を使うということを放棄していたんだろなー。

 

 

過去の振り返りはほどほどに^^;

 

 

まずは自分の傾向に気づくこと。

認識して、俯瞰する。

そこから始まる。

 

自分への戒めとして。

 

for you   ではなくて

 

まず自分がどうしたいか。どうあるべきか。

 

 

 

誰かのために何かをしてあげる

という心は、

上手くいかない時に相手のせいに容易にできる言い訳をつくってしまう。

 

 

 

上手くいくのもいかないのも自分次第。

上手くいってもいかなくても、

そのプロセスを振り返ることを

楽しもう!!

 

そして、人に良く見せようとする、虚栄心。

ありのままの自分でまずは自分が認めてあげてあげよう。

 

 

良い気づきを

ありがとう、復習会のメンバー!!