Learn to Learn を探求させる言葉の用い方

f:id:NOBUlog:20180927094410j:image

コーヒーの師匠のA氏からのレッスンを

振り返って気づいたこと。

 

最初のコーヒーのレッスン。

フィルターの中の粉は水平にしなさい

フィルターの周りを濡らさないこと

粉の量とお湯の温度は、一定にしなさい

 

でした!!

 

 

それ以上のアドバイスはなし。

後は自分で考えて実践してみて笑と一言。

 

 

どうやったら美味しくコーヒー淹れられるかなー??  コーヒーを淹れて行くまでの過程を楽しんで間を楽しみたいと思っていたので、その時の気持ちや動き方で味は微妙に変わるもので、

 

その目的を

マスターに伝えたら、出てきた

3つのキーワードが出てきた!!

 

 

ふと思い出す、レッスンの3つのキーワード。

やり方を言われたわけではないし

そのアドバイスによってどんな効果や目的があるのかも知らされていない!

 

 

ので自分で体験してその意味を探るしかないじゃん(^^)

 

 

そして、実際に、そのキーワードを忠実に守れた時とそうでない時の違い。

 

あるキーワードを守ろうとしたら自ずと連続性を持って、他のキーワードの所もうまくいったりする。  

 

逆に一つに意識を向けすぎたら他の所がおろそかになったり、

 

全部のキーワードに満遍なく意識を向けることにばかりとらわれると細かい一つ一つの違いに気づけなくなる。

 

 

自分は全体のことばかりに意識を向け、

実際に起きている小さな色々な変化を見逃してしまうことが多いのだ。

それを、凝り固まった頭で、ここがこうなら

こっちは、こういう風になるだろう!

って、決めつけてしまい、

無理シャリ言葉で意味付けしてしまうことが多いな💧

 

もっと素直に感覚的に起きた変化を

視覚的なイメージやこんな感じーだなー

くらいで受け止めれば良いのにー。

 

 

と俯瞰することができた過去の経験!!を振り返ると

 

 

やり方や結果だけを教えてもらったり

明確にその目的を教えてもらったら

 

 

こうすれば良いのね!!と

自ら探求するという行為をせず

 

同じことをし続けてできた気になってしまう所でした笑

 

 

度々喫茶店におとづれては、なんとも良いタイミングで、シンプルかつ適切にアドバイスをしてガイドをしてくれます!!

 

そして美味しいコーヒーと豆も各種取り揃えております!!

 

 

阿部珈琲館  川下

で検索を!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あるヒトの動きは、そのヒトが取り巻くすべての環境によってガイドされている( ゚Д゚)

f:id:NOBUlog:20180409213550j:plain



 

さあ、あるヒトが

自分のしたいこと いわゆるニーズを少しでも獲得するために

手段として良い動きを用いてもらおう。

さあ、良い動きを導くためにどうガイドしていこうか???

と良く考えます。

 

 

ガイドは手段であることは百も承知。

でも、この前のguide to movement 復習会でも話題になった通り、

ガイドにも色々な手段があるということを発見しました。

 

ハンドリング一つをとっても・・・色々なメッセージを与えたり、受け取ったりすることができます。

 

○様々な方向性を伝える 他動的に

○本人の能動的な動きの中で起きているつながりに気づいてもらう

○習慣的な動きといつもとは違った動きの比較をさせる

○ご本人の脳が選び出している「したい!」と無意識に言っている動きを拾い出す自動 

 介助運動 適応応答

○心地よい床を作り出すこと 安心感  重力を知覚させる

○自分の身体とそれ以外の物体との境界線を知覚させる

○固有受容性入力の認識を高め、ある部位への認識や動きや感覚の変化を創造したり

 変化したという事実に気づいてもらうこともできる

ファシリテーションや、動きの制約

○特定の場所への感覚が入りだすタイミングや量を調整することができる。

 

もっともっと色々な意味合いがハンドリングの中で意味を持たすことは無限にできるでしょう。

でも大事なことは、こちらが提供・提案したものに対して本人がどう受け取り選択をするのか???である。

 

 

これは言葉でガイドすることももちろんできますね。

 

 

能動的に動くことができる方・動きの質の変化を比較をする余裕のある方であれば

自らが能動的に動きながら気づきを得ていくことは可能です。

 

 

たぶん、言葉によるファシリテーションのみで、能動的に動き・変化に気づき

ベターな一手を自分自身で選択して変化したことを振り返ることができたのであれば

それが一番理想。

 

そのレベルであれば、その一回の関わりでたとえ最良の変化が出なかったとしてもなにせにゃならんな。という優先度の高い事柄に注意を向けていくことが

日常生活のどこかの場面で認識できれば、その文脈の中でそのヒトは勝手に比較して

良い一手や悪い一手を選択して変化を楽しんでいくであろう。

 

 

自分が関わっている方は脳卒中の方が9割8分であり、中々言葉の関わりが

難しいヒトが多く、その方の中枢神経系が何を欲しているのか

ハンドリングの中で感じ互いにその情報を共有しなければいけない時が多いなーと思っていました。

 

 

大事なことは、

○相手が欲していることは何か?に気づくこと =意図。

 

○本人が欲していることが本当にその人の身体や心が欲していることなのかを

 俯瞰すること  =無意識的に欲していること。本人も気づいていない欲求。

 

○その意図や無意識の応答が本人の行っている動きと結びついているか??

 

を考え、

ガイドという手段を用いて・・・

気づきを与える。

 

 

よくあるのは、こちらとしてこういう意図をもって、あるアドバイスをしたけど

受け取り側は違った解釈で受け取っていたり、

頭では分かっているつもり”””だけど身体は理解していなかった。

などなど良くある臨床あるある。

 

そりゃ受け取り側がどう受け取るか??が大事なことですよね。

当たり前のこと(^^♪

 

 

だけど、ずいぶん浅はかだなーと最近思ったのです。

 

 

 

 

結論からいうとヒトはガイドされていない動きなどアリエナイ~

と思ったのである。

 

誰か他人が意図して色々なシチュエーションという状況をガイド・提案したり、ガイドしてほしいという本人の希望も大前提にありますが・・・

 

ガイドの必要性の有無問わさず、ある機能的文脈において

ヒトは環境全ての情報においてガイドをされている。

アフォーダンスされているということですね。

 

その時の自分の心身状態・何をしたいのか?によって、動きはもちろん変わります。

 

その情報量の操作・優先度の変化(スポットライトの調整)・比較検討

・固有受容性に色々なことが気づけるような状況作りは

セラピストとしては非常に重要になるかと。

 

 

 

ある対象者がガイドを必要としている時に、ガイドをするヒトがいなければ

できないんじゃないの??と思いがち。 思い込みすぎ!!

 

 

ある程度動けるヒトなら、自分なりの動きを用いて動くことができます。

問題なのは、いつも習慣的な考えや思考のもと

同じ動きや行動を繰り返してしまうこと自体が問題。

 

ここからは、環境という状況が作り出すものを受け取り側によって捉え方が変わるよーという具体例を一杯乗せているだけなので、お好きですごく暇な方はどうぞ!!笑

 

 

たとえば、こんなパイプがあったならそこを通り過ぎて、気になるものに向かって移動しようとすると  うちの子供は下をくぐるという手段を用います。

f:id:NOBUlog:20180818220543j:plain

大人だったら、このパイプをまたいで渡るでしょう。

 

f:id:NOBUlog:20180803090745j:plain

こんな画像をテレビで見たら飲み物飲みたくなりますよね。

自分だったら、珈琲豆焙煎しようと思いますけど笑

こんな画像を見なくてもヒトは生理的におしっこ行きたくなったらいくし

うんこしたくなったら行くし、喉乾いたら飲み物飲みたくなる生き物です。

 

でも、状況に応じてうんこもらしたらいけない状況なら

我慢できるという適応能力を持っています。

 

 

謎の気になる物体があった時になんだこれはー??と思う

探究心・楽しさ・ウキウキ。  この思考や気持ちっていうのは

まず大前提で大事ですよね。

f:id:NOBUlog:20180818220946j:plain

 

 

 

 

こんな鼻のえげつない所に綿棒をぶっこまれて、

鼻づまりを治療されるくらいなら・・・  自分が受けた処置ですが笑

 

f:id:NOBUlog:20180802194137j:plain

こんなことされ続けるぐらいなら、

自分の呼吸と向き合い、全身を組織化して鼻づまりを克服しようと

このつらい状況下を受け取りそのような選択をしました。

 

豆を一から焼いて、豆を挽いて、粉にドリップして珈琲を飲むという一連の

流れを行えば・・・

f:id:NOBUlog:20180727111541j:plain

豆が出来ていく過程を楽しむことは、この文脈を経験することでおのずと経験するのです。

 

 

 

 

 

 

こんな景色を見たら、いつも早歩きで回りを見渡す余裕もなく、飛ぶようにして動き続けているヒトも

f:id:NOBUlog:20180625184208j:plain

ゆっくり周りを見渡して、俯瞰したくなるのかなーと思います。

瀬戸内海の夕日サイコーだったなー。

 

 

違った職業の方の話やモノづくりをしている方と話したりその物に触れると

理学療法士として職人のような仕事をしている身にとっては、どう応用できるだろうか??という自分には持っていない視点や価値観に触れる気づきが増える機会があったりする。

f:id:NOBUlog:20180528210859j:plain

 

 

 

日本という島を最初に作ったとされる古事記の伝記を知れば、

今の日本がどう形作られてきたのか??という背景が気になります。

f:id:NOBUlog:20180625184241j:plain

 

ヒトであれば、今目の前の起きている動きというのは、そのヒトが人生をかけて

作り出した動きですから。

どんな心持ちで、どのような経験を経て今の状況を作り出しているのか。

 

危険なのは、過去のことばかり追っていると今起きている現実からかけ離れてしまうことが多いので。リアルタイムに起きていることを基準にすることは大事。注意!!

 

 

この淡路島の景色を見た時に

f:id:NOBUlog:20180625184204j:plain

ヒトによっては、

なんだ この田舎道。  さびれてるなーと思うヒトや・・・

田んぼに植えてあるコメ気になるなー。

この道はどこに続いていくのだろー。歩いてみたいーと思うヒト

のどかで心癒されるなー。

自分の住んでいる町とこのまちの景色とを比較する人

懐かしい匂いや音がする感じがするーというヒト。

 

過去に経験したことがある景色やイメージが5感を通して明確にあるなら

自己イメージが豊かにバーチャルな感覚の想起ができるかも。

 

そうでなくて、新奇なイメージを持つ方であれば、

ヒトによって興味をどういだくかはまたヒトそれぞれ。

 

この曲がり角の向こうが気になるヒトもいれば、

その先がどうつながっているのだろうと不安に思う方もいる。

 

この紅葉山がまばらでキレイと思うヒトや

f:id:NOBUlog:20180622054617p:plain

一色の方がいいやーと思うヒトもいる。

 

 

この空間を見て、自分がちっぽけだなーと思うヒト

→この空間に対する自分の小ささを認識を高める方や

f:id:NOBUlog:20180526080601j:plain

自分の目が見ている視点で、この空間広くて開放的だはー(^^♪

 

と感じ方が異なります。

 

 

そのヒトによって、接地しているはずの床が心地よい床なのか

それとも心地よくない床なのか

f:id:NOBUlog:20180708074452j:plain

床と両の足がどう適応しているのかは、状況によって異なります。

 

 

何の変哲もない岩に見えますが、スポットライトの当て方により、

神々しさが何だがでてきます。

f:id:NOBUlog:20180624074837j:plain

どの角度からどれくらい、どのタイミングでスポットライトを当てるか。

そのスポットライトの組み合わせは・・・?

これってガイドをしていくのに非常に重要なことだな。

 

へーそうなんだ。ではなく。
そのような特徴はどうやって構築されてきたのか。
そのヒトを作り出されている背景まで考えることは楽しいと思える。

そう考えていくと、そのヒトの習慣的なある事柄や特徴を生み出している背景や背景を作り出していったプロセスを踏まえてまた、そのヒトと関われるし

そのヒトの価値観の中には存在していない、
新たなる一手という気づきを促すことができる。と思った今日この頃。

 

ナが(-_-;)

 

 

 

良いガイド役にひつようなこと

安全を確保し、快適さを保てられる。

と自ずと比較が出来やすい状況となる。

 

比較をすると、本人が主体となって、よりベターな方法を選択してくれる。

 

その選択が自分の想像してたベターな方と違ったとしても、楽じゃないと思った方と何が異なるの?  

 

へーそっち選んだのー。ほほー^^

どうして選んだのー?って

一緒になって探求するとお互いの

発見が非常に多かったのである。

 

 

 

よくやりがちな悪いガイドは、

 

こちらの方が良いんじゃない?って押し付けたり

これ大変だよねって、追い詰めるような動きの押し付けをしたり複雑なことをやらせ過ぎて混乱させてしまうのは本末転倒。

 

比較だけさせまくって、キーワードとなるような気づきのリファレンスがなく、もんもんとさせてしまうことも良くある落とし穴。

 

 

やはり、リファレンスはシンプルにすること。

そこをキッカケに色々な選択肢を先ずは

能動的に動いてもらい

違う状況というルールを作った時に、そのルールをどう本人が受け取り、

いつもと違ったより楽な戦略を見つけられるか??は大事かな。

 

 

でも、自分で動きながら発見することには、努力を要するし、

気づきが色々向けられるような覚醒した状況になってないだけで、意識を色々なところに向けてもいつもと同じことしか気づかないことが多い。

 

 

そういった意味では、ハンドリングを介した

動きの感覚由来の情報を  いわゆる

FI  ファンクショナルインテグレーション

は大きな手段となり得るか。

 

からしたら、自分で動いたことによる情報と

他の人に動かされた情報というのは、

動かされたという事実としては同じである。

 

 

他人に動かされる大きなメリットは、

余分な随意運動や努力感が少なくて済むこと。

いつもの自分が行なっている動きの癖が、快適さをハンドリングの中で作られていると

理解しやすいか。

 

本人の持ち合わせていない戦略を色々と提案ができること。

 

色々な戦略を実践している時に、常に快適さを保てるような状況をガイド役の人が作って

楽に学べる状況を作り続けることができることかなー。

 

 

いま、パッと思い浮かんだところはそんなとこ。

 

自ら学ぶ実践者としての経験値

様々な状況に対して、小さなエラーを繰り返し

その時、その時のベターな選択肢を選ぶ。

そしてその選択肢が適切であったか振り返る

 

人に学びを伝える実践者としての経験値

ガイドされてる。主体者は参加者。その人が快適でいられる状況づくりや安全を確保した上で、選択権はご本人に渡す。

 

本人すら気づいていない、動きの道筋や身体のつながりを探求する。

 

本人が何をしたいのか、自己認知を促せるガイド。

 

本人の持ち合わせていない選択肢

 

本人がやりたいことに対し全身が転化できるてるか伝えてあげること。

 

 

どちらの経験も大事だなとつくづく思った。

 

楽しかったー!!^ ^

 

 

 

 

けつの穴から外を見る?

f:id:NOBUlog:20180914145434j:imagef:id:NOBUlog:20180914145503j:image

 

札幌大通りのH&M

前の銅像    

左の写真は

写真の撮り手がけつの穴を外から見てる写真

 

右の写真は

けつの穴を覗く奥さんと子供

 

なんのこっちゃー??

 

ですね。

 

自分が見えてる世界というのは

自分が見たいものしか見ていない

ほんとに狭い世界なのです。

 

ヒトは見たいものしか見ないし

見たくないものは、見えなくなるようになっています。

 

自分が見えてる景色がなんと広大なものか!!

と見えてるよー!!なんておもった時点で、

はい、

それ以上見える景色は広がるわけありません。

 

 

だいたいにして、自分が見えてる世界は

けつの穴🕳から外を見ているとおもってた方が良いんです!!

 

 

じぶんの知らない世界を知るには、

けつの穴から出る試みを続けて行くしかないのです。

 

けつの穴を掘り続けたって  中に埋もれるばかりで、自分という殻から抜け出すことは出来ません。

 

 

対策は一つ。

自分の価値観とは正反対のことを選んで見ること。

最初は何だこれ?

大変じゃん?

 

と思うかもしれませんが、

簡単なことを一つずつ積み重ねて行けばよいか。

 

 

最近は地震による影響が、こんなにもか?

というくらい

精神的な疲労感に苛まれていました💦

 

色々な準備を済ませて大丈夫な状態に自分の外側を整えても、何だか小さな余震の度に、

胸がドキドキ。

 

ドキドキしてるから揺れてるのか?

余震で揺れてるのか?

 

で、間を取り自分の身体や心に注意を向けて見ると

 

なんと身体の余分な力を抜けていないことか。

 

 

いつもなら、その緊張していたり、思いのほかストレスに感じていることを

家族に伝えず 負の感情を隠すことが多かったのですが、

 

 

緊張しているー!!という感情を

解放ーーー!!してみました。

 

 

スッキリするもんです。

いつもは感情をあまりあらわにしない方ですな、

 

出して見るのも悪くないです🤗

 

 

するとボディスキャニングしたら

身体の力も抜けるもんですわ!!

 

 

体も楽ー!!

 

さあー!また自分の可能性を探究だなー!

 

 

本日のケツは、円山動物園の人気のあの子のオケツでした笑

 

f:id:NOBUlog:20180914151218j:image

 

 

 

手足の質感 は良くしましょう!

 

f:id:NOBUlog:20180828224458j:plain

 

 

前回、前々回からの臨床実践の学びの続き。

失調の方との出会いで理解したこと。

前々回は、分析をするということの意味について

前回は、揺れに対する向き合い方について

 

 

nobulog.hatenadiary.jp

nobulog.hatenadiary.jp

 

そして、今回は・・・

手足の質感について。

気持ちの良い、

心地よい

手足になるためにはどうしたら良いでしょうか?

 

行きている限り  生物は、

手足の先  頭も含めて

どのような役割を持たされているのか??

 

 

したいことを好きなようにするために使われます。   

意図を持った行為、活動ということ。

 

 

 

それから

 

足の裏がなければ、二本の足で地面をとらえ、

生きていくことは出来ません。

 

これはヒト特有の特徴

直立二足歩行をする生物は必ず持ち合わせていなければなりません。

ヒトが生きていくためには

何かしらの形で移動出来なければ生きられません。

 

この世の中は立って二本の足で歩いて生活するシステムに特化されて出来ていますから。

注意!

別に移動は二本の足で歩くことだけが移動ではありません。

別に車椅子を使おうが、

車を使おうが、

公共交通機関を使おうが 、

どんな方法だとしても

移動出来ることには変わりません。

寝たきりに近いヒトがベッドの上や車椅子の中でゴソゴソ出来ることだって

言ってしまえば

移動という行為そのものです。

 

でも今は、足の裏に注目しているので、歩きに限定します。

 

 

それからこんなに

手、口、目を繊細に扱うことのできる生物は存在しません。

 

だって道具を一から作り出して、 

色々な道具を組み合わせて

かつ他者と道具も通してコミュニケーションできる生物は存在しません。

 

 

では、

意図をかなえる楽な手足の動き

 

地球の重力の力やしたいことするときに、起こる身体の不安定さにより生じる地面と身体の関係性の情報を収集する足の質感

 

繊細な手作業をこなす手の質感

 

 

 

を手に入れるためにはどうすれば良いか??

 

 

 

つまりは

手足の良い質感をもち、本当に手足がしなければいけないことは出来るようにする。

目が見たいものを見れるように

今自分の状況や環境がどうなっているかを

認識しながら

リアルタイムにしたいことをする

ことが目的。

 

つまり、オリエンテーションするってこと

 

そのためには、手足がしたいことできるために、全身を組織化した方が良いということです。

 

 

バランスは躯幹に任せといた方が良いわけです!!

スタビライゼーション!!いわゆる

固めるではなく。

 

ダイナミックスタビライゼーション!!

簡単に言うと、

捻れて、曲がって 、伸びて、横に傾いたり

3Dに動けるということ!!

 

 

試しに身体の真ん中を固めると、

手足の質感は急に悪くなって、

美味しくない生々しくない

肉の塊になります!!

てか骨みたいに固くなって、

えっ手足全部骨??ってな感じになります!!

 

足の骨は元々船底状で転がるようになってるんでないの??

と思われるかもしれませんが、

足の裏全て骨のように固くなったしまえば

ドラえもんのような足になってしまうわけです。

骨も骨の形として生に捉えられるには、

その上にある 肉や 皮膚 や はたまた

皮膚の上にある服との間のズレも感じられた方が良いのです。

 

 

ブログで最近書いている失調症もあって

手足を棒にしている方も

言ってしまえば、皮膚肉骨のズレなど

全く無いのです。

 

 

そのような方は、心にも余裕がないのです。

その方も、皮膚肉骨のズレを感じて

心地よく手足の質感、頭や目の質感が戻ってくると

 

いつもは顔をしかめっ面にして

息絶え絶え喋っていたのに!!

よう喋る喋る笑

 

あっそんな性格だったのね^^

元々。

その楽しく明るい性格ですら

変えてしまう。

身体を固める。心を固める。

 

ということをさせないためにも

本当に手足の質感を確保し、

身体も心も繊細にしていき

外界の環境に

適応応答できるように

この方も関わりました。

 

関わる前は、
杖を使っても、杖先の自慢のことも知覚してないし、
杖の重さや杖の傾き、杖先のゴムの質感
杖の柄の部分の質感も
感じるというか
意識しても感じれていませんでした。


それも非麻痺側ですよ。そんな非麻痺側ですら、力をみなぎるように身体を固めれば

ダイナミックタッチなんかできるわけないです。

そう余分な力は手放さなければ、繊細な情報を受け取り、選別し認識し行動に切り替えていくことは困難になります。

 

ヒトは見たいもの・見れるもの・感じられるものしか見ない傾向がありますから

力を入れる癖が一度ついてしまえば感じられるものしか受け取ることができません。

 

 

器質的に感覚機能に損傷を受けていなくてもヒトは

容易に刺激に対して、鈍麻になることは簡単にできます。

 

そうなりたい方は、

全身に力を入れて、局所を意識して、過度に集中して、息をとめて

全身を固めればすぐに感覚鈍麻を体験することができます笑

 

それを体験した後に余分な力を抜くとですよ。

何と快適なこと。  なんと繊細な情報を感じ取ることができるな。

と思うことができます。

 

より深く知りたい人は、

ウェーバーフェヒナーの法則をチェックしてみてください。

 

フェルデンクライスメソッドでも根幹になる考えの一つです。

 

 

でも大事なことは、力を抜いてリラックスしたとしても

快適さや安全さを保てること。手足の質感のよさをたもてること。

息を止めていないこと。

ゆっくり・穏やかに動いてもらうこと

比較してもらえる状況にすること

ご本人に動きの学習に能動的に参加してもらえること。

ができていれば、動きのつながりはどんどん良くなります。

 

いってしまえば手足の質感が良い状態をキープできていれば、

バランス活動はおのずと安定していますし、身体の真ん中の部分も動的に安定できているはずなのです。

 

そして良くなった手足の質感から得られる情報を受け取ってもらいながら、動きの学習を色々していってもれば全身を組織化していくことが

このケースでもできました。

 

 

でも身体の質感が良くなって、

そのうえでご本人のしたいこと・獲得したいことという

根本の目的の部分がどのように変化したか??

を比較してもらうことは 絶対に忘れてはなりません。

 

その目的の動きの部分を比較する習慣さえついていけば

対象者の方は、自分でどんどん新しい動きのつながりを見つけていってくれると思います。

 

そんな経験ができた今日この頃。

 

 

 

 

 

 

 なんか、良くしようと結果的にはしているんですけど、

根本には、もっと相手を知りたいという欲求が根底には深く深くあるのです。

本人も知りえていない本人のことを一緒になって探究することが楽しいのです。

(^^♪  だからその時に必ずしも動きが良くならなくたってよいのです。

 

どんな風に失敗したのか??と向き合い、

次にどんなこと気を付けたらよいねーと一緒になって考えてお別れした後

 

 

次の日にあった時に、なんかわからないけど、めっちゃ手足の質感が良くなっているし。

ほほ―自分の傾向を理解した後は、いかに日常生活の中でご本人が自分の動きと向き合い、比較するのか??が本人の本当の意味での運動学習になるっていうこと。

 

自分で動けて比較できるヒトは、こうすれば良くなる??ではなく

今の傾向はこうなってるね。こうするのとこうするのとどっちの方が心地よい??

じゃあ実際にやってみて(^^♪

ほらねー楽じゃん。

へーじゃあ、このような環境や状況なら心地よさ同じように感じれる??

 

とセラピストはどんどん状況を提供し、色々な選択肢と向き合わせてあげて、

自らがこれ楽じゃんと選んでいくことができるように、ゆらーとガイドしていくことが必要なんでしょうか??

 

 

 

 

 

 

揺れは止める必要がない。その弐

 

 

f:id:NOBUlog:20180827152102j:plain

 

こちらは、24か月からしか乗ってはいけない、

子供は1歳4か月。  ほぼ24か月です。笑

デパートのアンパンマンゴー。

合えて不安定な座席で、身体を揺らしもらいながら、組織化を試みています。

すいません。そんなこと意図していません。

ただただ、子供がこれに乗りたくて仕方がなかったのです。

良いお父さん・お母さんはマネしないでください。

快適さ安全さは、父が見守っていましたので。安心

 

してください。

でもマネしないで下さい。笑

 

めっちゃ揺られながらアンパンマンゴーにのった後は・・・

f:id:NOBUlog:20180827153119j:plain

めっちゃバランス良くなってました笑

 

 

 

前回は、脳幹梗塞の失調の方に対して
自分が良く行ってしまう 疾患を理解するための分析。
相手を知ろうとしていない自分の傾向を戒めることを記載!!

前回記事はこちら。
nobulog.hatenadiary.jp

 

今回は、その続きとして

では揺れに対してどう関わったか??についてです。

 

私→

この身体の揺れが起きていることをどう思いますか??

 

ご本人→

すごく怖くてやっとその揺れを止めることができるようになったんです。

 

私→

どうやって止めているんですか??

 

ご本人→

全身に力を入れれば何とか止められんです。

揺れが起きなければ落ち着いて自分の身の周りのことができるようになったから、

前よりはかなり楽になりました。

 

 

 

 

ここまでのやり取りだけ見てもこの人はこんなに身体を力を入れていていかにも大変そうなのに、なぜ楽だと思ってしまうのか・・・

語弊を招く恐れがありますが、 

非常に興味があったのです。 

ご本人にも言いました。

不思議じゃないですか??こんなに力を入れていて、プルプル震えているのに、楽だと思ってしまうなんて!!と、

二人でこの謎について楽しみながら探究を試みました。

 

果たして揺れを止める必要あるのか・・・・??

 

 

息をこらえながら全身同時収縮様に力を入れていかにも楽ではない動きをしている。床に足を打ち付けるようにしながら、両手もパラシュートのように開いて歩いています。 

 

感覚障害はそれほど重度でないのに、全身に力が入るとこれ程までにも自分の動き方を認識することが難しくなるものか??

 

と思いました。

 

 

身体のどこが揺れてる??

 

その揺れは本当にコントロールできないほど揺れてるの??

 

揺れても戻ってくることできる??

 

あー戻ってき過ぎたねー。

でも快適にバランスをとれるようにこちらも構えてますんで、

おおいに揺れて下さい。

 

ご本人が怖がらない環境下の中で、少しずつ局所を動かしてもらいながら揺れながら

身体それぞれのパーツの揺れを感じてもらいながら

パーツごとの揺れをつなげていき、全体が少しずつ均一に揺れていけれるように

ご本人と探究。

 

揺れを感じる時のコツは

コツ骨が揺れるだけでなく、

無意識下で皮膚・肉までズレを受け取れるようにしてもらい

 

ご本人にはその揺れを感じている間、

息が楽にできたり、足の裏やひじ掛けに腕をのせてもらっている支持面と接触している

手足の質感が心地よいかは集中してもらった。

 

だいたい、手足の質感  末梢部位のセンサーが繊細になっている時には、

揺れは適度に全体に上手く波及していることが多く見受けられます。

 

 

とにかくご本人には、どの程度の揺れなら、快適さを保てるのか

認識できるように促すことを支援しました。

 

 

手足の力もわざと入れてもらったり、

     逆に抜いてもらったりしながら

どの程度の力を入れていてば、心地よいかも感じてもらいました。

 

 

たまに、比較がてらにわざとバランスを崩してもらった時に、

適度に身体が揺れていれば、

自然と身体は自己組織化し、一歩足が出てバランスを取りますし、

揺れ戻ることができるんです。

 

 

と探究を続けていくと、

 

私何だか身体のあちこち痛くなってきたわ。

おかしい!!と怒り口調で言われてきましたが笑

 

その痛みが出てくるタイミングと、揺れを無理に止めようとする自分自身で

自分の身体を損傷するように力を入れ続けている自分に気づくように

 

関わると、

 

その痛みは自分で作っているということに気づいてもらえました。

てか、少し余分な力が抜けてきた頃に痛みとして、

身体が自分自身に警戒メッセージを送ってきたんだよ。

 

やっと、危険センサーが元に戻ってきたね。

その時がチャンスなんだよ!!

 

ピンチと気づけている時こそ、実はチャンス!!

 

逆にこれだと揺れ止まるわ!!できたわ!!と思った瞬間に、

それ以上の発見は何もなくなってしまい、そのやり方はただただ習慣化され、

脳はそのうち心地よいと思ってしまう  穴ぐら星人の仲間入りになってしまいます!!

 

 

もっと相手を知りたいという欲求が深くなればなるほど、こちらが何かをしようとしたり、してあげたいということを捨てること。

相手がしていることをただただ受け取ってあげること。

それが、良い方法・悪い方法問わず、受け入れること。

違った発想を提案していきながら、一緒になって模索していくこと。

 

続けていけば、思いもよらぬ、ご本人の性格・家族との関係・日常生活におけるその人の価値観・既往歴にものっていないが身体を損傷させるようなエピソードが実はあったこと。

 

本当に発見が多い。

 

そのためには、良くしてあげるということを捨てること。

 

ただただ相手に興味をもって楽しくかかわること。

 

これ大事です。

 

 

 

このケースでの学びはさらに深く深くあったんです。

 

次回は!!!

その参手・足・頭の先っちょセンサーを働かせようです。

せっかく生えている手足・頭は目的に向かって転化できた方が良いですし。

 

 

 

 

揺れることは悪くない

f:id:NOBUlog:20180826223431j:image

 

このような木が折れないでそこに居られるのは、

木々や葉っぱが揺れるから。

 

 

 

実践からの学び

 

 

対象者は、失調の強い方。

 

脳幹の中でも橋梗塞。

ここからは過去の自分ならこのケースをこう考えてしまってるということをまずは記載。

ご本人を知ろうとしている探求心による分析ではなく、

疾患を良くしようと、分析をしているどうしようもない話。

 

 

橋とくれば

 

小脳との橋渡し

 

とくれば

 

失調強い   であるとか

 

 

 

橋といえば、  

網様体

といえば

体幹領域に特に同側性支配

言ってしまえば両側性支配となる。

延髄交差   運動麻痺は反対側にそりゃ出ますが、

ですが、

 

この方は体幹失調は特に右側に出ているし、

やっぱり橋由来の神経所見の強いケースだ!!

 

失調に対する揺れへの警戒心が強く

身体を固めてしまっていて下肢の足関節戦略、股関節戦略使えなくなってしまって、バランスを崩すことが多い。

 

よって、揺れが大きく出ないようにこちらで体幹ファシリテーションしながら

股関節、足関節戦略をバランス活動の中で使ってもらうように介入します!!

 

とか前の自分なら言ってやっていました!!

あ、少なからずそのような思考に陥る危険がまだまだあるので、

自分への戒め文!!

 

なんか、きいているだけだと、なんかすげー考えてる!!神経所見を臨床にあてはめてやってるんだな。とか思う人もいるかもしれません。

 

 

全くそんなことない。

 

これ誰にでも当てはまるっしょ。

対象者を全く知ろうとしてないっしょ!!

 

ってことに気づかなきゃ!!