揺れることは悪くない

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このような木が折れないでそこに居られるのは、

木々や葉っぱが揺れるから。

 

 

 

実践からの学び

 

 

対象者は、失調の強い方。

 

脳幹の中でも橋梗塞。

ここからは過去の自分ならこのケースをこう考えてしまってるということをまずは記載。

ご本人を知ろうとしている探求心による分析ではなく、

疾患を良くしようと、分析をしているどうしようもない話。

 

 

橋とくれば

 

小脳との橋渡し

 

とくれば

 

失調強い   であるとか

 

 

 

橋といえば、  

網様体

といえば

体幹領域に特に同側性支配

言ってしまえば両側性支配となる。

延髄交差   運動麻痺は反対側にそりゃ出ますが、

ですが、

 

この方は体幹失調は特に右側に出ているし、

やっぱり橋由来の神経所見の強いケースだ!!

 

失調に対する揺れへの警戒心が強く

身体を固めてしまっていて下肢の足関節戦略、股関節戦略使えなくなってしまって、バランスを崩すことが多い。

 

よって、揺れが大きく出ないようにこちらで体幹ファシリテーションしながら

股関節、足関節戦略をバランス活動の中で使ってもらうように介入します!!

 

とか前の自分なら言ってやっていました!!

あ、少なからずそのような思考に陥る危険がまだまだあるので、

自分への戒め文!!

 

なんか、きいているだけだと、なんかすげー考えてる!!神経所見を臨床にあてはめてやってるんだな。とか思う人もいるかもしれません。

 

 

全くそんなことない。

 

これ誰にでも当てはまるっしょ。

対象者を全く知ろうとしてないっしょ!!

 

ってことに気づかなきゃ!!

目的が明確になれば学習は遥かに進むのである。

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臨床で記憶に残る経験をさせてもらった。

 

学習を積み重ねて左手の不使用に対する関わりを続けていくと

ひ孫をだっこしたいという明確な目標をご本人が打ち出してくれたら、

 

なんと次の日にひ孫が病院に見舞いに来てくれたので、

実際には大変でチャレンジングなことでしたが、

子供の両親にも協力してもらいながら4か月半の

ビックな子供を麻痺側の上肢も使ってもらいながら抱っこしてもらいました。

 

 

そうするとですね。今までみたこともないくらい、麻痺側の上肢にも力が入っているのですが、すごく力の調整をしながら赤子が安心するように心地よい力加減を調整しようとご本人が実践している状況に出会えたのです。

 

 

私は、ただただひたすら、ご本人の後ろから必死にひ孫を心地よく抱こうとしている

ご本人の麻痺側上肢の腕と身体全体のつながりを受け止め続けました。

そして、ひ孫ちゃんがばたばたと遊んで動いているのに合わせてご本人の動きのつながりが適応していけるようにハンドリングをしていくという実践をしました。

 

 

そしたら、めちゃくちゃご本人の麻痺側上肢が動きやすくなっているんです。

 

その後はあんよ、あんよ。元気にするんだよ。とご本人がいったので、

子供をご両親に抱っこしてもらい、ひ孫ちゃんのあんよをご本人に両手でつかんでもらい、ひ孫ちゃんが楽しく両足をランダムにキッキングすることに対して、

ご本人が心地よく足を把持してられるように支援をしました。

 

 

そしたら、さらに麻痺側上肢が動きやすくなっているんです。

 

 

患者さんに泣きながら  本当にありがとう。 と泣きながら

麻痺側の左手を突き出してきて、左手で握手をしました。

 

あ、麻痺側の手を使うという認識ができたのね。

 

 

その2時間後にはひ孫が来ていたことと抱っこをしたというエピソードは覚えているものの、麻痺側上肢を心地よく使えたという実感は忘れていた。  笑

 

 

しかし、次の日にまた身体を触らせてもらうと確かに身体は新たな上肢と身体全体のつながりを記憶しているのである。

 

 

 

学習はもちろん脳に記憶されるのかもしれないけど

身体全てに動きの学習を記憶はなされるのかもしれない。

 

学習は無限だ。と本当に思った。

 

 

 

 

さらに、発見したことーー!!

 

 

いわゆる左麻痺  といえば

左半側視空間無視

身体失認

注意障害

 

等よくみられる現象です。

この度経験させてもらった方も上記現象がばっちり出ている方。

 

 

おまけに中々の認知症の進み具合であり、

1時間前にあったことを忘れてしまうこともあります。

 

麻痺は軽いので、麻痺側上肢で顔を触ったり、反対の肩を触ったりすることも

何とか可能である。

 

しかし、少しでも努力的に麻痺側を使おうとする認識が強いとすぐに非共同的な運動パターンがでたり、肩の局所に負担がかかり、痛みが生じ麻痺側上肢を使いたくなくなる特徴のある方でした。

 

 

 

さらには・・・

動作が性急(もともとの性格でちゃきちゃきっと動く人)

かつ、自分の病識はあるものの・・・

 

なんで自分はこの病気のせいで、今まで簡単にできていたことなのに

こんなことできないの!!!

 

と憤る日々。  その怒りや今後の行く先の不安から

余計に精神的に不安となり認知症状が増悪し

リハも集中して行えないことが度々であった。

 

まず、自分の今の状況を理解することができていないのが一番の問題だ!!

 

と考え丁寧に、一つ一つ身体の部分部分を一緒に認識し

ご本人が自分で急いで動かそうとして痛みや余計な力を入れていることすらも

受け入れて上肢とのつながりを探究することを積み重ねていくと・・・

 

いわゆる非共同的運動がパターン化されて動いてしまう癖の強い方であったものの、

どんな動きのキューが入るとそのパターンになるのか??

そのステレオになってしまうパターンすらゆっくり丁寧に動いてもらうことで

どのようなつながりが身体全体にあるか一緒に受け止めてみました。

 

 

 

するとですね、本人も動きの提案をしている私自身も知らないいつもの運動パターンのつながりに気づいてくるとですね。

いつもの同じ動きの道筋の途中で、いつもと違った方向に動きたそうな反応が出てきたのです。

 

本人の習慣的な動きから入っていきながら少しずつ提案していくことが

簡単から複雑にということである。

 

という大事なことを思い出すことに(^^)/

 

 

なぜその習慣的な動きをしてしまうのかゆっくり向き合っていくと、ご本人の口から

 

あー私はわざわざ痛みが出る途中で動きが出ればよいのに動き過ぎてしまうのね。

 

とか、左手は動くもんじゃないと思っているからすぐ良い方の右手を使ってしまうのよ。

 

とか、すぐ私は痛みが少しでも起きそうな気がしたら警戒しちゃうのよね。

 

 

と自己認識がどんどんできてくるわけなんです。

 

ですが、1~2時間後には記憶の中には、リハで行っていることは忘れてしまっているのです。  (-_-;)

 

しかし、身体は丁寧な自分との動きの向き合い方を覚えているので、

次回お会いした時には、

ご本人の自己認識ができるモードに入るまでが早くなるのです。

 

学習は積み重ねですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

痛みは味方!

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年に何度か起きる親指の裏の痛み。

 

3.4日過ぎると痛みは遠のいていき、まあ大丈夫かと今までやり過ごしてきました。

また、いまがその時で、あるお方に、自家焙煎珈琲を献上しに、琴似駅方面に向かいました。

歩いている間にも右親指の違和感がちらほら。

いま帰り道はスッキリ^ - ^

 

 

 

そこでの気づきを記載!

 

痛みの話に戻ります。

普通は、痛みは治るから良いでしょ。

となるかもしれませんが、

痛みがあるからこそ、身体がこのままの使い方はよろしくないですよ!とサインをくれているのです。

その痛みと向き合わなければなりません。

痛みが無くなるのは、根本的なものが

かいぜんしたのではなく、

その痛みを回避できる

楽で慣れた通り道、身体の繋がりの使い方

という習慣に戻ったことで、局所へのストレス

がかくれてしまっているだけなのです。

 

この作用は高性能の脳がやっているんだから

脳ってすごすぎです。

 

 

 

だけど、その痛みと向き合わなければ、

また同じことを繰り返し、いつかは本当に

オーバーユースを起こすのです。

それじゃ遅い。

ダメだめ!!

 

 

なぜそこが痛みを生じるほどのストレスがかかるのか。

 

生粋の扁平足  と  子供の頃の左膝のopeをした時からの両膝の反張膝。  X脚。

必死にアーチが潰れないように、膝の不安感を支えようと両足の親指が踏ん張ってくれていたんです。

 

そりゃ下半身を親指さんが必死にささえてくれてるのに加えて、

弱くなった左膝をかばうのに、いつも

左膝を棒にして右足によりかかるような

やすメーの姿勢になってた

少年、青年時代を思い出しました。

 

なので、右足の親指で全身を支えてくれていたのです。

 

右足の親指お疲れ様です!!

 

そんな痛みという気づきが起きた時が

チャンス。

 

痛みが起きてきた過程や背景が分かってきたら

今度は過用してしまっていることで

いつも使っていない繋がりを放棄していたことに気づく。

 

キーワードは右の踵の内側と

                      右の小指  

そこが感じられるような体全体の繋がりを

探求することが必要そう。

 

 

いまは解放されています。

 

凄腕の理学療法士のs氏にレッスンして頂きました。

 

自分の分析思考な頭が自由な身体の繋がりを防いでいたことにもまた気づきを得ました。

本当にありがとうございます😊

 

急なレッスンのご要望も快く引き受けていただきまして、感謝です!

 

また、s氏のご紹介は次回へ!!

 

 

混乱というなの探究  探究というなの混乱

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札幌北口地下広場 の穴場スポット  

誰も歩いていない静かな空間。

元々私も好きなところですが、

現代芸術作品的な物が色々あるんです。

なんの目的で作ったの??

どういう意味?

どうやって使うのー?

なんか不気味だけどー?

なんだか、混乱するわー。と思ってたら

こどもはそこで遊ぶ遊ぶ。

この作品を遊具と見立てて、探求しまくり!!

20分以上かけて、何通りもの遊び方を見つけます笑😁

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子供の目線で一緒に探求すると

混乱はなんのその、いつのまにか、私も夢中になって遊んでます!!

 

つまりは混乱イコール探求てことじゃん!!

 

ジャンジャンー^ - ^

 

 

 

 

 

 

でも

混乱するのはいやですよね。

というか混乱して困っている所を見せるのが弱みをみせているみたいでいやなこともあります。

 

カッコつけて、出来ているように見せかけることが得意な人もいます。

 

そうです。それが根っこにはいている弱虫ペダルなんです。

 

困ったことは、本当にできなくて困っているのにあたかも出来ているかのように見せてしまう。

 

でも、そんなことしてたら苦しくなるさ。

本当にできなくて困っている所を見られる時がいつか来るんだし。

 

だから上辺だけ良くしてバリアーを何重にも張って、自分でもそのバリアが何重に

かかっていることにも気づかなくなるんです。

 

脳は、それが普通と思ってしまうと、適応できてしまうんです。

凄いですよね。  

 

あ、今までの話は全て自分の話です。

言ってしまうと楽になるもんで笑

 

 

 

思った以上に混乱することはたいしたことないんですよ。

 

混乱した所で、たいした回りのヒトはどうこう思いませんよー。

 

混乱した所で、自分がそこでうん、ちょっと待てよ。と気づきその場で

修正できる時間を持てること。

振り返られること。

 

混乱できている時点で出来ていると認識しているわけではないので、そこで目を心を閉ざしてしまわなければ、 

学習は勝手に起きて良い方法を導き出してくれるんです。

 

 

混乱した時には、色々試してより楽な方法を見つけてみればよいのです。

心地よくないことを心地よくないと認めてあげることが何と楽なことか!!!

 

できないことを認めてあげて、どのようにできないのか?

はたまたできていないと思い込んでいるだけなのか?

 

色々感じたことをありのまま自分自身で受け止めればよいのです。

 

 

そしたらですよ。世の中は関係性なので、混乱を楽しんでいるうちに知らず知らずのうちに一緒になってその混乱を楽しんでサポートしてくれたりすることはおのずと現れます。一つ変われば全ては何かしら変化が起きているのです。

 

 

そうか、混乱ということはつまり探究していることそのものじゃないか!!!

 

うだうだ自分に向けての励ましをしていると

最後の一行に落ち着いたわー。

 

混乱する=いつもと違う自分に気づくチャンス=耳を傾けて目を閉ざさなければ

=色々な選択肢に気づくことができる=それを楽しもうじゃないか(^^♪

 

探究というなの混乱。  混乱というなの探究

継続していくこと

継続するという英語には・・・

よくcontinueという言葉があります。 継続する

他にもduration  時間を意味する連続・継続という意味

incessancy   絶え間のないこと

色々あります。

 

私がしっくりくるのは、

on going という用語

常に時間や事柄は連続性をもって進行中である

という意味をもっています。

 

継続することが目的ではなく、連続していく中での日々の繊細な変化に気づき

比較検討し吟味しもっとこうやった方が良いなーと 

失敗をも楽しみ、もっとこうしたら次いいじゃんと振り返り実践することが本質。

というか目的。

何百回も小さなエラーを繰り返すことそのものが大事ではなく、

その小さなエラーに気づけるようにしてそれをすぐに対策を立てて対応すること。

 

自分は、すぐエラーが起きるとまたやってしまったーとなって凹んでしまったり、

自分を表出するのが億劫になって、ヒトの言いなりになることが普段多いことに

また認識しています。

 

そもそも時間は常に連続しているので、日々絶え間なく出来事は連続しているのです。そこにいかに意識を向けられるか??楽しいこと・不思議なこと・失敗していること・悩んで吟味すること  たくさんあります。

 

常に繊細な感覚を受け取れるニュートラルな状況に自分でいられるか?

日々違いを楽しめる環境で楽しんでいるか??

 

肝にめいじよう。

 

継続するという強い意志があれば、壁を壊して進んでいくことができるヒトも

いるかもしれません。

 

意志だけが強ければ、知らず知らずのうちに身も心もボロボロになり、いざという時に効率の良い行動がとることが難しくなるだろうなーと日々自分は思うんです。

 

楽しむという目的を忘れずに。今日も珈琲豆を焼く理学療法士 笑

 

非習慣的なことをするのも

いきなり複雑で劇薬的なことをするのではなく、

簡単なこと日常的な小さなことからコツコツ積み重ねていこう!!

 

 

 

 

簡単と複雑

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例えば  

丸まるのが得意な人  

 

反るのが得意な人

 

側屈するのが得意な人

 

捻るのが得意な人  

 

その人にとって得意?特異的?な動きの

傾向があります。

 

ある方によっては、丸まるという簡単なことが

難しかったりするし

 

別な人によっては、簡単だったりする。

 

 

うごきというものをさらに細かくしていくと

頭、胴体、骨盤、脚、足部くらいに分けられますし

 

それらの構造体の一部分が相対的に丸まったり、そったりするだけで、

全体の調和は容易に変わります。

 

 

さらに、複雑にしていくと

 

寝返り、起き上がり、座位、四つ這い、立位、歩行  、社会活動

 

へとなっていく。

 

 

ただ日常生活の動きを繰り返して練習することで、

たしかに、ある状況下ではその動きが

できるかもしれません。

 

何か状況変わればとっさにできるかもしれないし、

できたとしても身体の同じ所ばかり酷使して

損傷をどこかに起こすかもしれません。

 

 

では、どうすれば良いか。

もっと簡単なことから始めよう。

 

 

日常生活での意識の何気なくやってる

使った物は、元の位置にすぐ戻す

 

とか、

トイレは使う度に、ほんの少し掃除する

 

とかそういう積み重ねが、

状況が変わって

自宅以外のところや仕事中にも整理整頓がでして、効率よく動けたりします。

 

 

身体の動きの探求も同じなわけ。

 

 

当たり前に生まれて来てから皆んなが

やってきた

赤ちゃんの動き  

赤ちゃんの時には、失敗も重ねながら、

全体を丸めたり、そったり、側屈したり

、ねじったりできていたはずなんです。

 

 

いってしまえば、虫ワームの動きですね。

自分は側屈の動きの傾向が得意で

特に丸まる動きが苦手。

 

できてるようで、胸部の下の方しか丸まれていないので均一ではない。腰部が丸まらない。

 

重力の関係性によっても違い、

座位では丸まれるけど

仰向けからは丸まりづらい。

 

 

色々な状況下で、同じ動きを比較して

違いを楽しむ。

 

 

一番大事なのは、失敗していくこともちゃんと受け入れること。

その過程を見つけるには、

 

より小さく、ゆっくり丁寧に動くこと。

そして待って、どうだったかなーと振り返ること。

ゆっくり一回一回振り返って丁寧に動くと、一度とも同じ動き方はしていないのです。

 

それを邪魔する高性能の脳が習慣に引っ張り込もうとするので、待て待て。

さっきと今と本当に同じかい?どっちが良いっ?て比較させてアップデートさせないとな。

 

 

重力や床の力も使える状況にして

状況を簡単にしていけば良い。

でももしかしたら足の力が使えるように座位や立位にした方が良いかも??

 

欲を言うと、もっと骨、肉、皮膚

全て受け取れるくらいの繊細さを持てれば、

おのずと体や神経系の繋がりは勝手に作られていくんです。

 

 

今、喫茶店のカウンターに肘で持たれかかった姿勢で前に丸くなっていくと腰部も丸くなれているなー。

と気づく。

 

でも肘の位置によっては、上の胸部があまり丸くなれないなー。

 

と探求をしています。

 

 

さあ、8月12日guide to movement復習。

early woam  非常に楽しみです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

仕事人 喫茶店マスター

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茶店には度々行っておりますが、

朝の忙しい中、たくさんのモーニングセットの準備をしながら、

さらにカウンターのお客さんとの会話も楽しんでおられる。

 

何故そのような二重タスクができるのか?

すごいなーと思う。

 

 

 

よくよく見てると、

会話も楽しんでいる時と

     仕事に意識を集中している時と

 

スイッチの切り替わり

      明確であるようだ。

 

会話も楽しんでいる時に並行して進めている仕事の行程がルーティーンで出来るように、

そうとう普段からトレーニングを積んで、

均一な味を出せるように、時間間隔を

掴んで行ったのだろう。

 

 

そして、スイッチも入った時には、

周りの空気感もかわり

話かけるなという集中したオーラを解き放っている。

 

 

自分にもこのメリハリが大事。

 

集中しすぎるのもダメ。抜けすぎるのも良くない。

状況に応じて、使い分けられるように

 

普段から

簡単なことでも、意識して何かに

トライして失敗して、エラーを起こし

その要因と対策を立て、実践する

このプロセスは

日常の中のルーティーンにしなければ^_^

 

日常の学びのルーティーンを徹底することで、

いざという時の、展開に対応できるように

普段からの心がけをしていこう。

 

 

兵庫西宮駅カフェサボテンマスターからの学び